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西行の眼
さいぎょうのめ
作品ID58315
著者下村 湖人
文字遣い新字新仮名
底本 「仏教の名随筆 2」 国書刊行会
2006(平成18)年7月10日
初出「青年」1933(昭和8)年6月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-02-16 / 2018-01-27
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

憤怒に打ち克つもの、それはただ慈心のみである。世に、対立を超越したものほど、尊く、高く、かつ強きものはない。

 平安朝もおわりに近いころ、北面の武士から、年わかくして仏門にはいった二人の偉丈夫があった。その一人は佐藤義清、もう一人は遠藤盛遠である。義清は二十三歳、盛遠は十八歳で剃髪した。前者は一所不住の歌人西行、後者は高雄神護寺の荒行者文覚である。
 おなじく仏門にはいっても、二人の心境は、火と水のようにちがっていた。文覚が、燃ゆるがごとき情熱と、怒濤のごとき意力とをもって自己を鍛錬しつつ、つねに世の動きに関心を持ち、頼朝のために院宣を請うたり、天皇廃立の不軌を企てたりしたのに反して、西行は、豪宕の性をもちながら、一杖一笠、しずかに自然を友として嘯咏自適、あたかも銀盤に秋水をたたえたような清純な生涯をおくったのである。
 文覚にいわせると、西行は仏門の賊であった。「沙門のくせに、行雲流水を友として、四方に周遊し、吟咏に日を送って、衆生済度の心を失っているのは怪しからぬ。」というのが、彼の腹であった。そして、いつも口癖のように、「西行に会ったら、頭をたたき割ってやる。」と豪語していた。
 一方、西行は、文覚のことを別に何とも思っていなかった。ただ、高雄に文覚という荒行者がいるそうだ、旅のついでに逢えたら逢おう、ぐらいに考えているだけであった。そして、文覚が、まだ見たこともない自分を、腹に据えかねていようなどとは、夢にも思っていなかったのである。
 ところが、二人が出っくわす機会がついにやって来た。ある秋のゆうべ、西行は、その巨大なからだを寒そうな衣につつんで、のっそりと神護寺の門をくぐったのである。
 西行の訪れたのを知った文覚の胸には、たちまち黄臭い煙が渦巻いた。今日こそは、いよいよ西行をぶちのめす機会が来た、と彼は思ったのである。
 やがて二人は一室に対座した。
 文覚は、嘗て伊豆に流されていたころ、頼朝にはじめて面接した時のように、目を瞋らしてじっと西行を見据えた。その瞳からは、焼けつくような炎がほとばしった。
 これに対して、西行の眼は、水のように澄んでいた。文覚の眼から出た炎は、西行の眼の近くまで行くと、ひとりでに熱気を失った。しばらくするうちに、文覚は、自分の眼そのものまでがつめたくなって行くのを感じた。いや、冷たくなるというよりは、何か眼に見えない柔かいもので、自分の顔から、一切の毒気と熱気とを拭い去られるような、心地よさを感じた。同時に、彼の胸のなかに渦巻いていた黄臭い煙も、何処へやら消えうせて行った。そして、室にみなぎるものは、秋のゆうべの、うっすらとした寂かな光のみであった。
 かなり永い間、二人はその寂光のなかに、二つの温かい石像のように坐っていた。
 やがて文覚はしずかに眼を落し、頭をたれて、西行に仏の道を問うた。それから二人のほがら…

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