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伊豆大島の話
いずおおしまのはなし
著者柳田 国男
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本柳田國男集 第一卷」 筑摩書房
1963(昭和38)年9月25日
初出「民族 第二巻第四号」民族発行所、1927(昭和2)年5月1日
入力者フクポー
校正者きゅうり
公開 / 更新2020-07-31 / 2020-06-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


          ○

 大島の野増村にはシツナ神といふ女體の神があつて、近い頃までも稀には男を呪ふ女が祈願をかけたといふ話を聽いたが、本當のことであらうか。其神像は特に陰相を誇張した女姿であり、或は陰毛を拔いて神に祈つたといふ話もある。土地の歌にも、「しかながそゝ毛に掛けましよか」といふ文句があるさうだから、大和近江武藏下總其他に傳はつて居た七難の口碑と近似する所はあるのである。もし方法があるならば、今少しく事實を確かめて見たいと思つて居るが、兎に角に問題として注意を乞つて置く。

          ○

 大島の何村であるかは知らぬ。七人樣といふ唄が傳はつて居るさうだ。又ソファイ殿といふ歌もある。其章句だけは一見したけれども、意味がはつきりとせぬ上に、若干の近代語がまじつて居るのを見ると、果してそれが元歌であるか否かも明白でない。始は踊に伴ふクドキの類であつたらうと思ふ。
 佛教の因縁を述べては居るが本來は精靈攘却の歌らしく思はれた。「浄土國がよいから、歸らないとおつしやるやれ」といふのが、七人樣の終の句であつた。ソファイドノの方は殊に支離滅裂の文辭で或は氣まぐれに色々の唄を、繋ぎ合せたかとも思はれる上、歌の題からして何を意味するかを知らぬのである。何か古い書物にでも出て居るかと思つて心がけて居る。正月二十四日の海南坊の物忌は、此島でも他の諸島同樣に、今以て固い信仰の一つになつて居る。只島の男子のみは盛んに江戸と交通して、近代の空氣を吸つた爲に、斯ういふ問題を説くことを好まぬ風がある。女性は固より愼み深い。彼等に特別の親しみある人々の中から、此の如き學問に理解のある者の、出て來るのを待つて居る他はあるまい。

          ○

 大島の習慣の中で、旅人の殊に珍しく思ふことは、嫁入の日の花嫁さんの擧動である。座敷では祝宴に列なる人々が盛裝をしてひしめいて居るに反して、當の本人は不斷着の筒袖のまゝで、臺所に來てもう皆と一緒に膳立ての仕事に働いて居る。誰の爲の御祝ひかと思ふやうである。若い婦人の本當の服裝が見られるのは、葬式の時である。此時ばかりは袂も長く、帶も幅廣のを前結びにして、頭の手拭も紫色のきれと取かへられる。
 一般に死者を弔ふ儀式は手厚であつて、島に住む人の情愛がよく窺はれるやうに思つた。面白いのは吉谷さまの御詣りである。此晩は成人の婦女ばかりで、男は一切立入らしめず、歌をうたひ噺をして樂しげに夜を更かす習ひである。



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