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井伏鱒二によせて
いぶせますじによせて
作品ID58324
著者小山 清
文字遣い新字新仮名
底本 「日日の麺麭・風貌 小山清作品集」 講談社文芸文庫、講談社
2005(平成17)年11月10日
初出「新潮 第五十巻四号」新潮社、1953(昭和28)年4月1日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2019-02-15 / 2019-01-28
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 井伏さんに「点滴」という文章がある。太宰治を追憶した文章である。それによると、太宰と井伏さんとは、水道栓から垂れる雫の割合のことで、無言の対立を意識していたようである。太宰は一分間に四十滴ぐらいの雫が垂れるのを理想としていたようで、そして井伏さんは一分間に十五滴ぐらい垂れるのを理想と見なし、いまでもそうだという。終戦前、二人が疎開していた甲府の宿屋の洗面所の水道栓から漏れる点滴の話である。太宰は手洗いに立つたびに、その水道栓をいつも同じくらいの締めかたにして、自分の好みの割合で雫が垂れるようにし、しかも洗面器に一ぱい水をためておき、水音がよく聞かれるような仕掛けをして置く。それを井伏さんが手洗いに立って行って、自分の理想とするところのものに訂正して置く。それをまた太宰が手洗いに立ったときに改める。太宰の場合は、水道栓から漏れる雫は、「ちゃぼ、ちゃぼ、ちゃぼ……」というせわしない音を立て、井伏さんの場合は、「ちょっぽん、ちょっぽん、ちょっぽん……」というようなゆっくりした音を立てた。そして二人は互いに素知らぬ顔をしていたようである。「何という依怙地な男だろう」と井伏さんは太宰のことをいっている。この話はおもしろい。二人の生活の速度というようなものが、図らずも、この点滴の割合にあらわれているように思われる。井伏さんと太宰とでは、その理想とする点滴の緩急に、数にして二十五滴のひらきがある。そして二人は、それぞれの生活の速度の基本を、そんなところに置いていたようである。四十滴を理想としていた太宰は、井伏さんを置いてけぼりにして、駈け足でこの世からさよならしてしまった。無言の対立に、そんな仕方で結末をつけたというわけだろうか。この文章にあらわれている限りでは、井伏さんは単に二人の好みの水音のことを話しているだけで、思うに二人の生き方がこうであるなどとはいっていないのである。たとえ井伏さんがそれを意識しているとしても、それをあらわに語らないところに、井伏文学というものがあるのだろうから。この文章を読んで私がこんなことをいうのは、これは程度の低い批評家根性がさせるようなもので、こんなことを書くのは、くだらないのだ。まして私が二人の間にわり込んで、おれの生き方を水滴の数に換算すればこのぐらいだろうなどといったとしたら、なおなお下司なことになるだろう。この文章を読む者は、友達の死後、またその宿屋へ出かけて行って、もう誰も消しに来る者のない水道栓から漏れる水音を聞きながら、依怙地な友達のことを、いや友達の依怙地さを追憶している井伏さんの心の温度を感じとればいいのだ。この文章には次のような数行もある。
「彼は気が弱かった。他人から非難されることを極度におそれるが、いったん非難されると自分で制御できなくなるほど棄鉢な口をきく。人の言動に対して、自分勝手にさまざまに味をつけて舌にの…

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