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聖家族
せいかぞく
作品ID58327
著者小山 清
文字遣い新字新仮名
底本 「日日の麺麭・風貌 小山清作品集」 講談社文芸文庫、講談社
2005(平成17)年11月10日
初出「文芸 第十一巻第三号」河出書房、1954(昭和29)年3月1日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2020-10-04 / 2020-09-28
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ヨセフは牛の頸に繋ぐ軛をこしらえていた。すると、傍の寝床の中で眠っていた息子のイエスが目をさまして、泣声をたてた。この寝床は、イエスがベツレヘムの馬小屋で生れたときに寝床の代りをした馬槽に模って、ヨセフがこしらえたものであった。ヨセフは手にしていた鋸を置いて、寝床のうえに屈んで、息子の顔を覗いた。イエスは父親の顔を認めて、泣きやんだ。ヨセフがあやすと、イエスは可愛い靨を顔に刻んで笑った。口もとが綻んで、もはや充分に発育した二本の可愛い下歯が見えた。ヨセフはイエスの目の中を覗き込んだ。イエスの目の中にヨセフの髯づらが小さく小さく縮小されて映っている。ヨセフにはそれがなにかの奇蹟を見るような気がした。ヨセフは自分の息子の目の中の自分の髯づらに挨拶するようにうなずいた。イエスは頻りに顔を動かし、寝床から躯を乗出すようにしたが、ふとまたべそを掻いた。母親を尋ねているのである。ヨセフが指で頬をなでると、瞬間機嫌を直したが、またすぐ泣顔になった。ヨセフは腕にイエスを抱きとって、その頬に接吻した。それはわが子を抱いたときに、いつも彼を襲う衝動であった。イエスは口をきつく結んで、強く首をふって、父親の愛撫にいやいやをした。頬に押しつけられたヨセフの髯が痛かったからである。
「坊や。外へ行こうね。」
 ヨセフはイエスを抱いて門口を出た。満八ヶ月になるイエスの躯は重く抱きごたえがあった。ヨセフはそのわが子の躯を、その勤勉な性質を語り顔な大きな節榑立った掌に受けた。ふだんイエスは外に出ることが好きだった。おなかが空いてむずかっているようなときでも、外に連出すとすぐに機嫌をよくした。
 戸外は夏の夕ぐれであった。ここガリラヤのナザレの町は、いくつかの小高い丘にとりまかれた平和な谷間にある。聖書に「なんじの頭はカルメルのごとく」と女の頭髪をほめる譬に引かれたカルメルの山の濃緑に蔽われた美しい山容も、彼方に見える。いま夕陽はその山の背に沈みかけ、家々にはちらりほらりと灯火が点きはじめた。
 彼方から鈴の音が聞えてきて、やがて羊飼の少年が羊の群を追って野から帰ってくるのに行逢った。少年はヨセフを見かけて、挨拶した。
「こんばんは。」
「こんばんは。」
 ヨセフはその髯づらに柔和な微笑を浮べてうなずいた。イエスは羊の群の後を目で追うように、また羊の頸に下げた鈴の音の響を耳で追うように、ヨセフの岩乗な肩ごしに暫時うしろを向いていた。
 水瓶を頭に載せた農婦がやってくるのを見かけ、ヨセフはいい隣人らしい快活な声を出した。
「うちのかみさんを見かけなかったかね。」
「見たともさ。マリヤさんなら水汲場にいるよ。」
 農婦はその陽焼けした頬に人の好い微笑を浮べて云った。イエスは農婦の方に手をのべて愛想笑いをした。イエスはこの頃日ましに智慧がつき、表情もゆたかになった。
「ご機嫌さん。父ちゃんに抱っ…

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