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風貌
ふうぼう
副題――太宰治のこと
――だざいおさむのこと
著者小山 清
文字遣い新字新仮名
底本 「日日の麺麭・風貌 小山清作品集」 講談社文芸文庫、講談社
2005(平成17)年11月10日
初出「風雪 第四巻第七号」六興出版社、1950(昭和25)年7月1日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2019-06-19 / 2019-05-28
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ――私はたいていうなだれて、自分の足もとばかり見て歩いていた。けれども自分の耳にひそひそと宿命とでもいうべきものを囁かれる事が実にしばしばあったのである。私はそれを信じた。私の発見というのは、そのように、理由も形も何も無い、ひどく主観的なものなのである。誰がどうしたとか、どなたが何とおっしゃったとか、私はそれには、ほとんど何もこだわるところが無かったのである。それは当然の事で、私などには、それにこだわる資格も何も無いのであるが、とにかく、現実は、私の眼中に無かった。「信じるところに現実はあるのであって、現実は決して人を信じさせる事が出来ない。」という妙な言葉を、私は旅の手帖に、二度も繰り返して書いていた。
(太宰治「津軽」)

 私は昭和二十三年の六月十六日に、「ダザイオサムシンダ」という電報を受取った。私は北海道の夕張炭坑にいた。そこでは、その翌日の新聞に初めて記事が出た。死体はまだ見つからぬという記事であったが、私は死んだと思った。十八日の朝夕張を立った。二十日の朝上野に着いて駅前で新聞を買った。死体が発見されたという記事が掲載してあった。三鷹の家に着いて、飾ってある、あの暗い眼差しをした太宰さんの写真を見た。
 私は一年半、太宰さんに会っていなかった。二十二年の一月の末に、私は北海道へ行った。私は太宰さんがはじめ甲府に、その後金木に疎開中、ずっと独りで三鷹の家に留守番をしていた。二十年四月から二十一年十一月までの期間である。二十一年の十一月の中旬に、太宰さんは金木を引き上げて、また三鷹の家に戻った。私は二月ほど同居して、北海道へ行った。行く前の晩、三鷹の映画館で一緒に映画を見た。翌朝、出かける時には、雑誌記者の客が来ていた。「では、行ってきます。」と云って、私は玄関に出た。そのとき奥さんがふと思いつかれて、ちり紙の束を私に渡した。私は障子のかげで、「躯に気をつけて。」と云う太宰さんの声だけを聞いた。それが最後になった。
 同居していた二月の間に、奥さんの親戚にあたる少年で入院した人がいて、手が足りないため私が附添として行き、しばらく病院生活をしたことがある。同室の附添人に面白い年寄りの女の人がいたが、私が冗談を云うと、腹を抱えて笑った。三鷹の家に帰ってから、私が土産話のようにその話をして、「僕がここを先途とバカなことを考えて話をすると、みんな大笑いをするんです。」と云ったら、太宰さんは目を光らせて、「君は僕たちをちっとも笑わせてくれないじゃないか。笑わせてくれよ。」と口を尖らせた。十年の師に対して、私がいつも飼われたばかりの犬のような顔をしているのが、物足りない気がしたのであろう。私が附添をしていた少年は、入院してから目方を量る度毎に体重が増えていき、食慾もあって、その後の経過は順調であった。私が「やっぱり板前がいいせいでしょうね。」と自慢顔をしたら…

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