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老人と孤独な娘
ろうじんとこどくなむすめ
作品ID58330
著者小山 清
文字遣い新字新仮名
底本 「日日の麺麭・風貌 小山清作品集」 講談社文芸文庫、講談社
2005(平成17)年11月10日
初出「新潮 第六十二巻五号」新潮社、1965(昭和40)年5月1日
入力者kompass
校正者酒井裕二
公開 / 更新2019-04-10 / 2019-03-29
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 小さな川を隔てて、少し遠い処に墓地があった。はじめて来たとき、老人は墓地を好んだ。樹の間がくれに、小さな墓地であった。一度、雨がひどく降るときに、寂しさがあった。明治十三年、慶応二年、文久二年、安政五年、天保十四年、……墓石は苔むしていた。地蔵さまがあったが、顔が欠けていた。そこは一里塚と言った。寺は何処にも見えなかった。上求菩提下化衆生、老人は言葉が言えなかったが、文句は知っていた。川が流れている小さな墓地に、老人は慰安を求めた。
 秋の日、墓地を訪れた。草蔭に杖を引いて腰を下した。凝っとしている。青空から白い雲が見える。人の顔を、馬の顔を、……高い雲は描いている。二時間後、やっと墓地から帰った。途中で、いつも、よしきり橋の袂で疲れた躯を休めた。
 そのとき、突然、「Q町四丁目は何処でしょうか?」とひとりの娘が尋ねた。風呂敷包を持っていた。老人は咄嗟に口が言えなかった。
「さあ、……」と黙っていた。娘は黙礼して立去ったのだが、左足は跛であった。老人は「あっ。」とおもわず息を呑んだ。跛のためか、不便であった。
 そのうち、老人はQ町四丁目の一膳飯屋に寄った。いつも夕方に、ときどき飯屋に寄るのであった。アジが好きだった。見ると、そこに跛の娘が店に立働いていた。老人は娘の顔を見ていたが、娘は知らぬ顔をしていた。娘は老人に膳を持ってきた。老人は飯を食べて、杖を引いて立上ったが、土間に杖を転がした。娘は杖を拾ってやった。老人は「有難う。」と言った。
 家に戻って、寝椅子に腰を下していたが、娘のことを思った。髪も、化粧も、素朴な形であった。老人は眼が熱くなってきた。……また、池の辺りにしゃがんだときも、娘のことを思った。
 そのうち五日に老人はまた夕方に飯屋に寄った。娘は立働いていた。「イカを下さい。」と老人は言った。釣銭を受取ると、娘は「有難うございます。」と言った。六日の昼頃にまた老人は飯屋に寄った。昼は客も空いていた。「豆腐を下さい。」と老人は言った。豆腐は大好きだった。「有難うございます。」と娘は言った。
 老人は七日にS町の映画館に行った。西洋物であった。漢字がなかなか分らなかった。でも、西洋物が好きだった。偶然、「野鴨」を見た。十四歳の娘が屋根裏部屋で自殺した。とても可哀そうだった。娘は眼が悪いのであった。しばらく老人は娘のことを思った。また、跛の娘のことを思った。
 映画館を出てから、林の外れの道に、少し疲れて休んだ。老人は杖を引いて腰を下した。右半身がまだ痛いのであった。右腕が痛いし、外に出ると右の胸が神経痛のように痛いのであった。三時頃であった。
 突然、跛の娘が側を通った。老人も娘も不思ず黙礼した。「どこか、病気なのですか?」と娘は心配そうに言った。「くたびれた。なんでも、ないんだ。」と老人は言った。娘は「おじいさんは、映画を見ましたね。」と言っ…

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