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浮世絵の鑑賞
うきよえのかんしょう
作品ID58332
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「荷風随筆集(下)[全2冊]」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日
初出「中央公論 第二十九年第一號」1914(大正3)年1月
入力者入江幹夫
校正者shiro
公開 / 更新2017-12-03 / 2017-11-24
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 我邦現代における西洋文明模倣の状況を窺ひ見るに、都市の改築を始めとして家屋什器庭園衣服に到るまで時代の趣味一般の趨勢に徴して、転た余をして日本文華の末路を悲しましむるものあり。
 余かつて仏国より帰来りし頃、たまたま芝霊廟の門前に立てる明治政庁初期の官吏某の銅像の制作を見るや、その制作者は何が故に新旧両様の美術に対してその効果上相互の不利益たるべきかかる地点を選択せしや、全くその意を了解するに苦しみたる事あり。余はまたこの数年来市区改正と称する土木工事が何ら愛惜の念もなく見附と呼馴れし旧都の古城門を取払ひなほ勢に乗じてその周囲に繁茂せる古松を濫伐するを見、日本人の歴史に対する精神の有無を疑はざるを得ざりき。泰西の都市にありては一樹の古木一宇の堂舎といへども、なほ民族過去の光栄を表現すべき貴重なる宝物として尊敬せらるるは、既に幾多漫遊者の見知する処ならずや。然るにわが国において歴史の尊重は唯だ保守頑冥の徒が功利的口実の便宜となるのみにして、一般の国民に対してはかへつて学芸の進歩と知識の開発に多大の妨害をなすに過ぎず。これらは実に僅少なる一、二の例証のみ。余は甚しく憤りきまた悲しみき。然れども幸ひにしてこの悲憤と絶望とはやがて余をして日本人古来の遺伝性たる諦めの無差別観に入らしむる階梯となりぬ。見ずや、上野の老杉は黙々として語らず訴へず、独りおのれの命数を知り従容として枯死し行けり。無情の草木遥に有情の人に優るところなからずや。
 余は初めて現代の我が社会は現代人のものにして余らの決して嘴を容るべきものにあらざる事を知りぬ。ここにおいて、古蹟の破棄も時代の醜化もまた再び何らの憤慨を催さしめず。そはかへつてこの上もなき諷刺的滑稽の材料を提供するが故に、一変して最も詭弁的なる興味の中心となりぬ。然れども茶番は要するに茶番たるに過ぎず。いかに洒脱なる幇間といへども徹頭徹尾扇子に頭を叩いてのみ日を送り得べきものに非ず。余は日々時代の茶番に打興ずる事を勉むると共に、また時としては心ひそかに整頓せる過去の生活を空想せざるを得ざりき。過去を夢見んには残されたる過去の文学美術の力によらざるべからず。これ余が広重と北斎との江戸名所絵によりて都会とその近郊の風景を見ん事を冀ひ、鳥居奥村派の制作によりて衣服の模様器具の意匠を尋ね、天明以後の美人画によりては、専制時代の疲弊堕落せる平民の生活を窺ひ、身につまさるる悲哀の美感を求めし所以とす。



 浮世絵は余をして実に渾然たる夢想の世界に遊ばしむ。浮世絵は外人の賞するが如く啻に美術としての価値のみに留まらず、余に対しては実に宗教の如き精神的慰藉を感ぜしむるなり。特殊なるこの美術は圧迫せられたる江戸平民の手によりて発生し絶えず政府の迫害を蒙りつつしかも能くその発達を遂げたりき。当時政府の保護を得たる狩野家即ち日本十八世紀のアカ…

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