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水海道古称
みつかいどうこしょう |
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作品ID | 58445 |
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著者 | 柳田 国男 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「柳田國男全集20」 ちくま文庫、筑摩書房 1990(平成2)年7月31日 |
初出 | 「民間傳承十五卷三號」日本民俗學會、1951(昭和26)年3月5日 |
入力者 | フクポー |
校正者 | 木下聡 |
公開 / 更新 | 2020-05-08 / 2020-04-28 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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地名の呼び方は、時とともに変って行くのが普通で、現代はことにその例が多くなった。たいていは外から来た人たちが、文字だけを見て自分の思った通りに読んでしまうからである。著明な例としては、相撲甚句にも出て来る「出羽で荘内鶴ヶ岡」そのツルガオカを今ではツルオカ、木曾の福島はフクジマであるのに、旅人は皆フクシマというのみか、土地の住民までがそれを訂正しようとはしない。東京市中の駅名のアキハバラなども、鉄道でそういうから誰も争わないが、明治初年に始めてこの地名のできたときは、アキバガハラだった。地名の呼び方の正しいか正しくないかのごときはそう簡単にはきめられない。大勢の向うところ、これからだって何と変るか知れたものでなく、ちがっているから返事をせずにいるというわけにも行くまい。
ただこの二つの称え方の、どちらが古いか、またはどちらに由緒があるかまでは誰にでも言える。地名の二通りの呼び方が、二つ一ぺんに始まった気づかいはないからである。その上に、人がこの地名を口で付けたかあるいはまた文字で付けたかも、少し考えてみればわかることである。ある一つの土地の名の起りが、古ければ古いほど、そこには文字を知っている人は少なかったろう。そうしてそこに住む者の全部が承知しなければ、地名などは行われるものでない。どんな気のきいた字で書いておこうとも、多数が読んでくれなければ、地名として通用するはずがない。
つまりは地名が生まれたのと、それが文字となって世に出たのとは、その間に大分の時の開きがあったのである。水海道はいつの頃、誰が書き始めたものか私は知らないが、ずいぶんと変った字を当てたものと、かねてから思っていた。今からもう六十何年も前に、私はこの下流の布川という町に住んで、毎度この地名の起源について人が評定するのを聴いていたことがある。ここが水路の要津であるゆえに、すなわち水の海道とつけたのだろうという一説を、あるいはそうかとも思ったことがあるが、今考えると町の名に街道は少しおかしい上に、蚕養川の水運がどんなに古く始まっていようとも、それまで地名がなくてすんだということは解しがたい。多分はミツカイドウの名は、久しく後にこういうややもっともらしい漢字を当てるようになったのが新しいのかと、おおよその見当をつけていた。
ところが今度富村氏の注意によって、いつの時代かの報国寺朱印状に、御津海道村とあるというので、一つの手掛りが得られたわけである。御津のミツはいたって古くまた弘く、日本に行われていた地名であり、同時にまた一つの敬語でもあった。どこかこの附近にあった官公署または地頭などのために、貨財を積み卸しする舟着場が、夙にこの土地にあったところから、御津という地名がここにも生まれていたのである。海道という方はちょうど今、民俗学研究所でも手を掛けている問題なので、この一文を書いてみる気に…