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アテヌキという地名
アテヌキというちめい
作品ID58452
著者柳田 国男
文字遣い新字新仮名
底本 「柳田國男全集20」 ちくま文庫、筑摩書房
1990(平成2)年7月31日
初出「民間傳承二卷二號」民間傳承の會、1936(昭和11)年10月20日
入力者フクポー
校正者木下聡
公開 / 更新2020-07-31 / 2020-06-27
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

『民間伝承』第十二号四頁の高木君報告に、当貫または苦楝木と書いて、アテヌキと呼ぶ地名が香取郡東部に多いとあるのは、自分には興味がある。苦楝は本名オウチ、すなわち古書に誤って樗の字を宛てている木のことで、一種その樹実の味苦いものが、薬用として知られているところからこう書くが、正しくは漢語に楝とあるものに該当する。参考書の多くは『古事類苑』植物部巻七に引用せられているから、ここに陳列する必要はない。この木を方言でセンダンという土地は弘いが、千葉県では果して今何といっているであろうか。私の知っている限りでは、汽車で通ってみてこの県の山武・匝瑳二郡ほど、オウチの樹をたくさんに見る処は他にはない。香取郡の上総と続いた部分にも、少なくとも元はいくらもあったのかと思う。この楝すなわちオウチをアテの木ということは、大槻・松井二翁の辞書にも見えないが、京都でもかつてはそういった例があるのである。最近に三ヶ尻浩君の複製した文明十六年の『温故知新書』にもちゃんとそう見えているのみならず、また『本草類篇』にもオウチ一名アテノキとあり、『山州名跡志』に引用した『八幡宮鎮座伝記』にもそうあるというから、香取郡に同じ名があっても少しも不思議でない。こんなただわずかな当貫というような地名からでも、気をつけて見ればまだいろいろのことが判って来る。すなわち地名はまた埋もれたる史料であったのである。
 今日人も省みないアテという一語がかつては弘い地域にわたって、楝の和名であったことが一つの知識である。次には現在の沖縄県や豊後・壱岐などのように、もとはこの地方のオ列音も、よほどウ列音に近く発音せられていたらしいことが、また一つの新しい事実である。それよりも我々にとって重要なのは、このオウチの木が特に千葉県の一部において、地名となって伝わる程度に人の生活と交渉があったということである。これも今後注意していれば、少しずつはそのわけが判明するかと思う。樹名は非常にその木が珍しいか、または巨大であるならば、単なる存在だけからでも地名に採用せられ得る場合はあるが、オウチの木はその現状から推して考えると、どうもそればかりの理由ではなかったようである。
 昔は京都ではこの木を獄舎の門に栽えてあって、罪人の首を斬ってこれに懸けたことが、『源平盛衰記』その他の軍書に何箇所も見えている。正しい記録では『水左記』の康平六年二月十六日の条に、安倍貞任以下の首級を都に渡して、西獄の※[#「木+惡」、U+2C11A、360-13]の木に梟したとあるそうである(古名録巻二九)。これも香取郡などの苦楝木と同じ樹であることは確かだが、この場合にはあるいはアテの木と呼んでいたのではないかと思う。『山州名跡志』の引用した石清水のアテの木には、椏の字を書いているが、これは木篇に悪の字などはない上に、あまり感心せぬからこう改めたので、こん…

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