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客ぎらい
きゃくぎらい
著者谷崎 潤一郎
文字遣い新字新仮名
底本 「陰翳礼讃 改版」 中公文庫、中央公論新社
1975(昭和50)年10月10日
初出「文学の世界」1948(昭和23)年10月号
入力者時雨
校正者砂場清隆
公開 / 更新2020-07-30 / 2020-06-27
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

       ○

 たしか寺田寅彦氏の随筆に、猫のしっぽのことを書いたものがあって、猫にあゝ云うしっぽがあるのは何の用をなすのか分らない、全くあれは無用の長物のように見える、人間の体にあんな邪魔物が附いていないのは仕合せだ、と云うようなことが書いてあるのを読んだことがあるが、私はそれと反対で、自分にもあゝ云う便利なものがあったならば、と思うことがしば/\である。猫好きの人は誰でも知っているように、猫は飼主から名を呼ばれた時、ニャアと啼いて返事をするのが億劫であると、黙って、ちょっと尻尾の端を振って見せるのである。縁側などにうずくまって、前脚を行儀よく折り曲げ、眠るが如く眠らざるが如き表情をして、うつら/\と日向ぼっこを楽しんでいる時などに、試みに名を呼んで見給え、人間ならば、えゝうるさい、人が折角好い気持にとろ/\としかゝったところをと、さも大儀そうな生返事をするか、でなければ狸寝入りをするのであるが、猫は必ずその中間の方法を取り、尾を以て返事をする。それが、体の他の部分は殆ど動かさず、―――同時に耳をピクリとさせて声のした方へ振り向けるけれども、耳のことは暫く措く。―――半眼に閉じた眼を纔かに開けることさえもせず、寂然たるもとの姿勢のまゝ、依然としてうつら/\しながら、尻尾の末端の方だけを微かに一二回、ブルン! と振って見せるのである。もう一度呼ぶと、又ブルン! と振る。執拗く呼ぶとしまいには答えなくなるが、二三度はこの方法で答えることは確かである。人はその尾が動くのを見て、猫がまだ眠っていないことを知るのであるが、事に依ると猫自身はもう半分眠っていて、尾だけが反射的に動いているのかも知れない。何にしてもその尾を以てする返事の仕方には一種微妙な表現が籠っていて、声を出すのは面倒だけれども黙っているのもあまり無愛想であるから、ちょっとこんな方法で挨拶して置こう、と云ったような、そして又、呼んでくれるのは有難いが実は己は今眠いんだから堪忍してくれないかな、と云ったような、横着なような如才ないような複雑な気持が、その簡単な動作に依っていとも巧みに示されるのであるが、尾を持たない人間には、こんな場合にとてもこんな器用な真似は出来ない。猫にそう云う繊細な心理作用があるものかどうか疑問だけれども、あの尻尾の運動を見ると、どうしてもそう云う表現をしているように思えるのである。

       ○

 私が何でこんなことを云い出したかと云うと、他人は知らず、私は実にしば/\自分にも尻尾があったらなあと思い、猫を羨しく感ずる場合に打つかるからである。たとえば机に向って筆を執っている最中、又は思索している時などに、突然家人が這入って来てこま/\した用事を訴える。と、私は尻尾がありさえしたら、ちょっと二三回端の方を振って置いて、構わず執筆を続けるなり思索に耽るなりするであろう…

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