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『広辞苑』後記
『こうじえん』こうき
作品ID58498
著者新村 出
文字遣い新字新仮名
底本 「新村出全集第九巻」 筑摩書房
1972(昭和47)年11月30日
初出「広辞苑」岩波書店、1955(昭和30)年5月25日初版
入力者フクポー
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-08-17 / 2018-07-27
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 昭和十年の初頭以来、粒々の辛苦を積んで完成を急ぎつつあった『改訂辞苑』の原稿も組版も、二十年四月二十九日の戦火に跡形もなく焼け失せ、茫然たる編者の手許にはただ一束の校正刷のみが残された。しかも戦火に続く敗戦と戦後の混乱とは、如何に辞典に妄執を抱く編者を以てしても、直ちに復興を企図し得べき底のものではなかった。焦土の余熱は、容易に冷ゆべくもなかったのである。
 然るに倖なる哉、同年十二月、当時元気に活躍せられつつあった岩波書店主故岩波茂雄氏と編者との間に、早くも『辞苑』の改訂に関する協定成り、一陽来復、編者として欣快のこれに過ぐるものはなかった。
 他面、当時の国内情勢は、恐らく開闢以来最悪の事態におかれて居た。餓[#挿絵]路に横り、怨嗟の声巷に満つるを見聞しては、辞典改修のごとき迂遠なる事業の、未だその時機に非ざるを観念せざるを得なかった。更に翌二十一年四月、岩波茂雄氏の突如たる訃音に接しては、出版界の先覚を喪弔するの悲しみと共に、本事業の前途も亦多難なるべきを秘かに憂慮したのである。
 併し、越えて二十三年季春、先考の志を襲いで岩波書店を継承せられた岩波雄二郎氏を始め幹部の各位は、文化の再建途上における辞典の重要な役割を認識して『辞苑』改修の促進方針を決定せられ、編者はこれに基き、同年九月十三日、書店内の一室を借りて新編集部を開設し、茲に事業の再発足を見得るに至ったのである。
 ただその当初にあっては、危く烏有をまぬかれた校正刷を唯一のたよりとしてのことではあっても、ともかくも校正刷がある以上、改修の事業は比較的簡単に進め得るものと我も人も思考したが、その予想は実は甚だ甘かった。戦塵の鎮まりゆくにつれて、日本は一大転換を開始して居たのである。即ち昨日まで国を動かす大きな原動力であった陸海軍は廃止され、日本国憲法は公布せられた。この憲法の改正を軸として、法律は勿論、文物制度のあらゆるものがめまぐるしく改廃され、創建されて行った。民主化への巨大な歩みは、古いもの一切の存続を拒むごとき世相を展開した。この事は辞典編纂の上に細大となく影響する。甞ての重要項目は今は多く削除すべきものとなり、或は評価が急変して増補または縮小を余儀なくされた。存続すべき項目に対しても、その見方が著しく違ってきた。加之、新たに採るべき項目は日に月に続出し、応接に暇なからしめると共に、忽ち現れ忽ち消え去る社会百般の事象が編集部を困惑せしめたのも、混乱期の自然なる姿であった。兵を廃した国に警察予備隊ができ、これが忽ちにして保安隊と変り、三転して自衛隊となる。編集部はその都度、前稿を捨てて新稿を草するのである。この辞典が単純な国語辞典ではなく、百科の語彙、固有名詞をも収録してあまさぬものであるだけに、かかる現象から被むる編纂上の困難は、当初の予想を裏切ってこれを数倍化した。
 困難はそれのみ…

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