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或る文学青年像
あるぶんがくせいねんぞう
作品ID58554
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第10巻」 臨川書店
1999(平成11)年4月9日
初出「改造 第十八卷第十一號」1936(昭和11)年11月1日
入力者焼野
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2020-06-19 / 2020-07-01
長さの目安約 33 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

「文学青年といふ奴はどうしてかうも不愉快な代物ばかり揃つてゐるのであらう。不勉強で、生意気で、人の気心を知らない。ひとりよがりな、人を人とも思はぬ、そのくせ自信のまるでない、要するに誠実も、智慧もない虚栄心の強い女のくさつた見たいな……」
 そのほかこの種の形容詞をまだまだ沢山盛り上げようとしてゐるところを、堀口大学がいつになく横合から口を出して、
「それでいゝのだよ。文学といふものは、一たいがさういふものなのさ。そのままでだまつて十年か二十年見てゐてやると、その不愉快千万な代物が、それぞれ相応に愉快な、見どころのある奴に変つてくるのだ。それが文学といふものの道だね。有難いことさ。たとへば我々にしたところが十年か十五年前を回顧して見ると、お互立派に不愉快な文学青年であつたらしいからね。」
 あとは笑つた。それはもう十年位以前の事であつたらう。折にふれてこんな会話を取交した記憶がある。何時、何人に関する出来事に就てであつたやらはもう覚えない。ただ自分の記憶に存してゐるのは、あの風采も心持も寛雅な友人が自分の不平を慰めようと自分のために言つた「有難い文学の道」や「十年か十五年前にはお互立派に不愉快な文学青年であつた」といふ自分の放言に反省を促さうとしたらしい一言とその会話の卓の間の丸テーブルの白い布の上に落ちてゐたまぶしい光線と、それから目をそらして見上げた軒の新緑と、友の寛雅な一言のために自分の心も和いで、一緒に笑つた事と。それ等のものの外はもう一切忘れた。その時の友の言葉を今も思ひ出さないではない。

 もう一つの記憶は多分更にもう一昔も遡つて見なければなるまい。従つて、僕自身が立派に不愉快な文学青年であつた頃の或る時である。その恩義を少しも報ずる事の出来なかつた自分の師生田長江先生が、その友人の森田草平に向つて言つてゐるのであつた。
「そんな事は君、知らぬ顔をしてうつちやらかして置くに限るね。相手を軽蔑して笑つて置けば過ぎてしまふのさ。尠くも君の不快を僕も分担してゐるし、ここにゐる佐藤君だつて同じくさ。天下に二人の理解者があれば沢山だ。それ以上を求めるのが贅沢の沙汰だね。」
 長江先生は金属的な声をあげて一笑した。自分も生意気に[#「生意気に」は底本では「生気意に」]笑つた。しかし草平は決して笑はなかつた。さうして言つた。
「それや、こんな事で目角を立ててぐづぐづいふのは野暮には相違ないさ。相手はそれがつけ目なのだ。だから僕は笑つてはすませない。この野暮を敢てしよう。こんな場合野暮をおそれて笑つてすますのはいい趣味かも知れないが、僕はいやだ。野暮と言はれるのをおそれてこれを黙つてゐるなどは僕には寧ろ不道徳な感じがするのだ。」
「さうかい。天下にそんな事よりもつと関心事があつてもよささうに思ふのだが。」
「さうだ、この事たるや、これをそのまま拡大すれば天下の…

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