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戦国会津唄
せんごくあいずうた
作品ID58558
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「美少女一番乗り」 角川文庫、角川書店
2009(平成21)年3月25日
初出「少女倶楽部」1937(昭和12)年9月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2026-06-10 / 2026-06-08
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



「おい見ろ、稗食い虫が行くぞ」
「やあ本当だ、おーいみんな来いよ。岡野の稗食いが通るからからかってやれ」
 ばらばらと悪童たちが集まって来て小房の周囲を取巻いた。
「やい稗食いの痩せっぽち」
「蕨のねっこでも掘りに来たんか」
「晩の御飯は楢の実だろ」
 手を拍ちながら声々に囃したてる、小房はどうする事も出来ず、ついには両の袂を顔に押当て、わっと泣きながら逃げて帰るのが例であった。
 小房の父岡野左内は、上杉景勝の重臣で猪苗代城代を勤める一万石の大身だったが、実に思い切った倹約家で、自分はじめ娘や家来たちにも、夏は生麻の帷子、冬は木綿布子よりほかに着せなかったし、食べ物は稗や粟が常食で、それに蕨の根や蜀黍団子や楢の実などというどんな貧しい農家でも嫌うような物を、主従上下の差別なく食べていた。――一万石という大身でこの倹約、というよりは吝嗇に近い生活をしていたから、自然と莫大な金がたまる道理である。左内はそれがまた何よりも楽しいとみえ、月に一度ずつ金蔵へ入っては、あるほどの金銀を山と積んで、ただ一人それを数えるのが例であった。
 豪放と恬淡を以って誇りとした戦国武士のあいだにあって、左内のような吝嗇や、金銭を愛する気風が蔑まれるのは当然である。
 ――左内ではない吝内殿だ。
 ――いかにも、稗野吝内であろう。
 そういう陰口が頻りに飛んだ。
 しかもそれに輪をかけるような事がもう一つあった。――常に多くの家来を養っていた当時の武将たちは、平時、金銭を軽んじて豪放な生活をしていたから、少し戦争のない年でも続くと大抵は金に窮し、鎧兜や重代の武器を手放して、辛くも家計を支えるという人々が珍しくなかった。――そこで左内の所へも金を借りに来る者が少なくない、左内はそういうとき一応は快く貸してやるが、しかしそれには厳重な期限があって、約束の日が来るとびしびし取立てるし、期日を違えるような事があると自ら相手の屋敷へ押掛けて行って、四辺近所へ聞こえよがしに罵りたてるのだった。……借りる時には一生の恩にきた連中も、そうなると逆に立腹して、
 ――岡野は武士に似合わぬ、まるで金貸商人のような奴だ。
 と悪口を言うようになるのだった。
 常の左内は世間にいかなる悪評が飛ぼうと平気だった。けれど――まだ髪あげをしたばかりで、ようやく羞ずかしさというものを知り始めた十五の乙女小房には、それがどんなに辛く、悲しい事か知れなかったのである。
 それは立秋を過ぎて間のない、八月はじめのある日のことだった。
 会津若松城下の崇伝寺へ、母の墓参に行った帰り道、小房は久しぶりに土岐六郎右衛門の屋敷を訪ねようとして、残暑の日射しを避けながら武家屋敷の方へ歩いていた。――土岐六郎右衛門は藩の侍大将で、市之丞と菊枝という二人の子がある。兄妹とも小房とは幼い頃からの友達で、殊に兄の市之丞とは幼い頃から…

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