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堀辰雄のこと
ほりたつおのこと
作品ID58570
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第24巻」 臨川書店
2000(平成12)年2月10日
初出「文学界 第七巻第八号」1953(昭和28)年8月1日
入力者焼野
校正者菜夏
公開 / 更新2018-05-28 / 2018-04-26
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 堀辰雄とは何時から交際をはじめたらうか。さういふ事にかけては割合に記憶の悪くないわたくしだが、あまり明確には思ひ出せない。多分まだ「驢馬」の同人であつたころ彼があまりあざやかな文学上の特性を現はさないころ、芥川家で偶然に落ち合つた青年の一人として彼を最初に見たためではあるまいか。それならば一時にあまり沢山に同じやうな人びとを見たために印象がぼやけてしまつたのかも知れない。尤も芥川や室生から彼の噂をその前後によく聞いて、殊に、そのむし歯のことを歌つた短い詩を芥川が推賞した時、それはわたくしも既に注目して置いたもので即座に芥川に同感した事はよくおぼえてゐる。それで今度抒情詩のアンソロジイを編むに当つても彼のはそれと他に一篇とを採録することにしたものであつたが。
 芥川が歿した直後、彼の印象が僕にだんだんと鮮明になつて来たのは彼の文学活動のためではなく(といふのは彼がその真価を発揮しはじめたのはもう少し後であつたやうに思ふから)彼がさう頻頻とではないが、ときどき僕のところへ遊びに来るやうになつたためであつたとおぼえてゐる。僕はよい作家としてよりも以前に好もしい人がらの青年として彼を先づ認めたのであつた。温厚で高雅な人なつつこい人であつた。芥川や室生との関係からであらう。その頃芥川や室生とは親しかつた僕に対して、彼はまるで文学上の叔父さんに対するやうな素直な敬愛の情を示してくれた。彼はめつたに人を入れた事のないわたくしの二階の書斎へ入つたことのある僅に二三人のうちのひとりである。あまり使はない部屋で乱雑にしてゐるのとあけつぴろげのやうであるが実は最後の一線では人の好き嫌ひのはげしいわたくしはむやみと自分の書斎などへ人を入れたくない一面があるからである。それを知つてか知らないでか、彼は或る時ごく無邪気に、
「僕、あの二階の塔見たいなお部屋へ入つて見たいな、いけませんか」
 かう切り出されては、これを拒否すべき理由もなく、乱雑にしてゐるけれどと云ひながら導いて行くと、いよいよ部屋に入らうとする前になつて、
「僕ほんたうは佐藤さん(といつもさういふ風に僕を呼んだ)の本が見たいのだ」
 と云ひ出したので僕は実は少々閉口して「芥川君とは違ふ碌に本なんかありやあしないぜ」と云ひながらも今さら引きかへすこともならず、いよいよ書斎へ入つて行くと部屋のなかをと見かう見して、部屋の広さや天井のことなどを問ひ、実は少々風変りな部屋だからであらう。さうしてお世辞ではなくその部屋をほめた上で壁に沿うてあつたちやちな本棚の前に近づき立つて遠慮深さうに、――僕に対してではなく、本そのものに対して――幾册か抽き出して見た上で最後に小さな版のロオレンス・スターンのセンチメンタルジャニイを借りたいと云ひ出した。夏になれば今年も追分へ行くからそこで読みたいと云ふのである。わたくしは無論すぐに承諾した。…

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