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最初の訪問
さいしょのほうもん
作品ID58578
著者佐藤 春夫
文字遣い旧字旧仮名
底本 「わが龍之介像」 有信堂
1959(昭和34)年9月15日
初出「浪漫古典 第一巻第二号」昭和書房、1934(昭和9)年5月1日
入力者佐伯伊織
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2019-03-01 / 2019-02-22
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 某年某月某日――この日づけは當時の彼の手紙を見ればはつきりわかる。その頃の手紙は二通か三通――全集にも未收のものが保存してある――ただ北海道にゐる弟が珍重して持つて行つてしまつて返却しない。手もとに置く必要があると幾度も言つてやるのに今だに返却しない。甚だ困る不都合千萬である。この男は何でも人のものを欲しがつて困る。本號にもこの手紙のうつしでも提供すれば有益なのに、それが出來ないので、腹が立つて來るのである。(この切り拔きを愚弟へ送りつけてやるつもりだ。)それで或る日、年ははつきり覺えぬが二月か三月春のまだ淺い日であつた。はじめて芥川を訪問した。その前に二三度手紙の往復はしてゐたし江口などを通じて間接には交友關係を生じてゐたが、面會するのはこの日がはじめてであつた。留守をおそれてゐたが幸ひ在宅のやうであつた。客があるのか門前には車が待つてゐた。取次の女中が要領を得ない樣子だつた。見なれない顏だからだと思つて名刺を渡してそれをともかくも通じて貰ふことを頼んだ。すると彼はわざ/\玄關へ現れて、鄭重に自分で二階へ招じた。主客ともにお時宜だけは鄭寧にしたが初對面の挨拶といふやうな堅固しいものはぬきにした。しかし主は何やら浮かぬげな樣子だと思つたら、彼はいふ。
「女中が留守だとでも言ひはしなかつたか」
「いいや、ただちよつとあいまいな不徹底なそぶりだつたが」
「それならいいが實は留守といふことになつてゐたものだから――原稿を書きかけて、瀧田が下で居催促をしてゐる」
 と芥川が打明けたので僕は急いで歸らうと座を立つと彼は氣の毒げに
「さうか。いや一向邪魔ではないし、君に歸つてもらつてもすら/\と書ける自信もなし、一そ思ひ切つて君と話してゐた方が僕としては樂しいのだが、ただ落ち着かぬ。このぎこちない氣持が君にも傳染し、我等の最初の會見の機會を圓滑なしんから樂しいものに出來ないのが殘念だからね」
 と芥川の言葉の意味はざつとこんなことであつた。僕はその意を諒として再度の訪問を期し滿足して辭し去つた。
 その時彼の書きかけてゐたものが何であつたかも無論題位は聞いたのだが忘れてしまつてゐる――何にしろ二十年前の話だが、多分「手巾」であつたらう。
 床脇に引つこんだ一疊に置いてあつた書机の前に主客椅子を並べて、机上にデューラーのメランコリヤをひろげて、彼がその隙間のない構圖の妙を讃へ、その金屬的に透明な線を説いて、それらが彼の藝術上の意圖といかに一致するかを説明したのは第二囘の訪問の時であつたと思ふ。最初の機會にはそれほどの餘裕もなかつたわけだから。



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