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ラヂオ閑話
ラヂオかんわ
作品ID58579
著者成沢 玲川
文字遣い旧字旧仮名
底本 「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」 文藝春秋社
1935(昭和10)年1月1日
初出「文藝春秋 第十三年第一號(新年特別號)」文藝春秋社、1935(昭和10)年1月1日
入力者sogo
校正者The Creative CAT
公開 / 更新2018-12-14 / 2018-12-07
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

[#挿絵]

 新聞社から放送局へ轉じて一番先に欲しくなつたのはラヂオ・セツトのいゝのである。持合せのペントード式のは東京しか聽けないので、米國製のスパートンといふ小型のポータブルを備へつけた。五球で中型の置時計ほどのサイズ目方も輕く革製のカバンがついてゐて旅行に携帶もできる。アースを取る必要もなく、二三間あるアンテナは糸卷のやうものに[#「やうものに」はママ]卷きつけてある。一寸そこへらへ引掛ければいゝ。
 第二放送のある今日、家庭にラヂオ・セツトが一つしかないのは不便で、よく「ラヂオ喧嘩」が起きるのである。趣味のちがふ老人と子供と、男子と婦人とが、第一放送と第二放送が同時刻にぶつかると、どちらか一方を棄權しなければならない。私は古い方を子供用として二階に移動し、野球や學生向の講座や子供の時間などにこれを使はせ、大人は好きな時間に好きなものを新しいスパートンで聽くことにした。これで家庭にラヂオ喧嘩の種もなくなり、放送も完全に聽くことができる。セツトが一つのために放送が半分しか聽けないのは新聞を片面しか讀まないやうなもので勿體ない話である。尤もこれは多人數の家庭に必要なことで、一人では如何に頑張つても同時に二つの放送は聽けない。新聞は何種類取つても讀みこなしに差支はないが、ラヂオは聽き外したら、それでおしまひだ。

[#挿絵]

 私は職掌柄報道關係の放送を家庭にゐてもできるだけ多く聽くので、折角子供が「第二」を樂しんでゐる時、それを「第一」に切り換へるに忍びない。新聞社にゐた時は新聞の精讀が重要な仕事の一つになつてゐたが、放送局に入つても勿論新聞は精讀してゐるし、またしなければならない。つまり新しく「聽く」仕事が殖えたのである。
 新聞社の人は社長から給仕に至るまで少なくとも自社で作つた新聞は讀んでゐる。しかるに放送となると全部のプログラムを、朝から晩まで洩さず聽いてはゐられない。そこで自分の所管事項だけは、時間の遣繰をつけても聽くやうに勉めるのは、私ばかりではあるまい。ニユースに就ても、新聞社の場合は各部で原稿を見る。それが更に整理部に廻されて工場に行く。工場からゲラが戻つて來る。校正が終れば大組でまた讀める。さうして最後に出來上つた新聞を讀む。けれども放送ニユースは原稿がアナウンサーの手に渡れば、もう編輯、印刷兩局の凡ての過程を終つたのである。愈々時間になる、アナウンサーの舌は輪轉機、その唾はインキ、その音聲は配※[#判読不可、30-1段-1]同樣、即時即刻、聽取者の耳に※[#判読不可、30-1段-2]する。萬一アナウンサーが原稿を誤讀すれば、それは新聞に於ける誤植である。アナウンサーの舌が廻轉を始めたが最後、新聞のやうに校正といふ別の機關を經由する方法も時間もないのである。だから、新聞の出來榮といつたやうなものは、ニユース放送を聽いて始めて知るので、…

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