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ネクタイとステッキ
ネクタイとステッキ
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第20巻」 臨川書店
1999(平成11)年1月10日
初出「新潮 第二十四年第十一号」1927(昭和2)年11月1日
入力者えんどう豆
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2019-04-09 / 2019-03-29
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 ネクタイやステッキ。僕は一向そんな代物の愛好家ではない。そんな者に僕を仕立てゝしまつたのは、天下のゴシップである。
 ゴシップによると、僕は三千本のネクタイを持つてゐるさうである! まあ考へても見たまへ。一本五円と見つもつて、三千本で一万五千円也。僕は不幸にもそれほど徹底的に非常識にはなれない。ネクタイ三千本は実に白髪三千丈のたぐひで、たくさんといふことのつもりなのかも知れない。それでは僕は事実に於て一たい、何本ぐらゐそれを持つてゐるであらうか。数へて見た事もないがまづ、せいぜい三十本か四十本。尤も僕は何品によらず蒐集する趣味は一向にない。――なかつたと言つた方がいゝかも知れない。といふのは近ごろ少し、蒐集家といふものゝ心持がわかつて来たから。
 それにしても僕は蒐集するよりは放散する事の方により多くの興味がある。だから、僕はネクタイでも可なり放散した。つまり、人が欲しいといふとくれてやつたりしたものも少くない。しかし、それを大切に一々保存して置いたとしてもおそらく三百本とはあるまい。僕は十五年間、洋服を着用してゐる。十五年間に三百本のネクタイを買ふことは別に道楽といふ程のものではなからうではないか。

 ステッキもそのとほり。僕はまだ二十五円より高いステッキを買つた事はない。今手もとには三本ある。一本は籐のもので、これは十八円だつた。一本は竹の根で、これは三円二十銭だつた。この五月に別府で買つた。もう一本はやはりこの夏、高野山で、たしか一円二十銭だつたゞらう――人が買つてくれた。旅行中にも僕は邪魔になるので、大ていステッキは持たない。それで手もちぶさたになつて、つい途中でそんなのを買ふ。それもやすもので気に入つたのがあつた場合である。僕が今もつてゐるこの三本には、どれにも飾は銀の釘一本打つてない。尤も以前に一度瑪瑙の握のあるのを一本買つた事があつた。ところが銀座の人ごみのなかで、うしろから来た人間に蹴られてとり落したと思つたら、握は破れてしまつた。蹴つた奴は一向気がつかなかつたらしく、ふり返つても見ないで、さつさと行つてしまつた。僕はそいつの無作法と無神経とには腹を立てたが、それにくらべるとステッキを惜むの情は甚だすくなかつた。実際、もう少々飽きてきてゐた代物だつた。もう一ヶ月も壊れずにゐたら、誰かにくれてやつたゞらう。
 事実はすべて以上のとほりである。それが何故にまた、そんなゴシップを生んだかといふと、僕は「その日暮しをする人」といふ短篇のなかでネクタイなどのことを書いた。又、「厭世家の誕生日」といふものゝなかにもステッキの事を書いた。どんな風に書いたかは、それを読んでみてくれたまへ。
 人々は僕の書いた事の意味を本当に了解しなかつた。さうして、或る馬鹿は、佐藤春夫といふ男は、キザな会社員か何かのやうにネクタイばかり気にしてゐるなどと、冷笑にもならぬ…

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