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鴎外先生
おうがいせんせい
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「荷風全集 第十五卷」 岩波書店
1963(昭和38)年11月12日
初出「中央公論 第二十四年第九號」1909(明治42)年9月1日
入力者菜夏
校正者津村田悟
公開 / 更新2018-07-09 / 2018-06-27
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)
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本文より


 凡てのいまはしい物の形をあからさまに照す日の光が、次第に薄らいで、色と響と匂のみ浮立つ黄昏の來るのを待つて、先生は「社會」と云ふ窮屈な室を出で、「科學」と云ふ鐵の門を後にして、決して躓いた事のない極めて規則正しい、寛濶な歩調で、獨り靜に藝術の庭を散歩する。藝術の庭は實に廣く、薄暗く、隅々までは能く見えない。いろ/\な花がさいて居るけれど、まだ誰も見た事のない花が、どれだけ暗い影の中に咲いて居るか分らない。先生は種々な太古の人物の彫りつけてある、丁度希臘のサルコフアーヂユのやうな、冷い石の榻に腰を下して、いつも若々しい眼で、誰れも知らない庭中の花をば、殘らず眺めやうとして、既にその大方は眺め盡してしまつた。時々は科學者の態度で摘み取つた花の花瓣から蕊までを仔細に調べる事もあるが、時々は少女よりも優しい心でうつとりと其の薫に醉ふ事もある。先生は自分の氣に入つた花の姿をば繪に寫して折々土塀の外に居る人に見せてやつた。塀の外に居る老人、又は先生と同じ頃の年の人には、何の事だか分らなかつたが、然し好奇心の燃えて居る若い人達は、初て土塀の中にはあんな美しい花が咲いて居たのかと心付いて、一生懸命に入口を見付けて花園の中に這入つて來た。然し先生の腰をかけて居る石の榻のある近邊までは、道が遠いばかりでなく、道の曲り具合が分りにくいので、誰も行き得るものはない。若い者共は一度び既に先生が歩みながら見飽きてしまつた路傍の花を眺めて、あれがいゝの、これが美しいのと、わい/\騷いでゐる。先生は其聲をかすかに聞いて、獨りで微笑んだ。そこで折々遠から皆なの知らない變つた花を取つては、ふいと投げて見せた。わい/\云つてゐる一同は投げられた花を手に取つて見たが、塀の外にゐた以前のやうな稚い愛らしい心がなくなつて、おれも今では庭を歩いてゐる男だと高振つて居るから、この知らぬ花を、知らないものと思ふのが厭なので、こんなものは仕樣がない。おれ達には不必要だと罵つた。中にはこんな事をいふものがある。先生は唯花を見て樂しむ人だ。我々は汗を流して花を作らうとしてゐる人だ。あんな呑氣な男は仲間に入れぬ方がよい。先生は遠から此の聲を聞いて再び面白さうに笑ふ。時々はわざとからかふつもりで、凋れかゝつた花なぞを投げてやる事がある。先生はいつも獨りである。一所に歩かうとしても、足の進みが早いので、つい先へ先へと獨りになつてしまふのだ。競爭と云ふやうな熱のある興味は、先生の味はうとしても遂に味へない所であらう。自分は先生の後姿を遙に望む時、時代より優れ過ぎた人の淋しさといふ事を想像せずには居られない。



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