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学校騒動
がっこうそうどう
作品ID58616
著者尾崎 士郎
文字遣い新字新仮名
底本 「早稲田大学」 岩波現代文庫、岩波書店
2015(平成27)年1月16日
初出「早稻田大學」文藝春秋新社、1953(昭和28)年10月20日
入力者フクポー
校正者孝奈花
公開 / 更新2023-09-11 / 2023-09-06
長さの目安約 73 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 その年(大正六年)、二十歳になったばかりの西方現助は、ある日の午後、寄宿舎の門を出て鶴巻町の大通りへぬけようとする曲り角で彼の先輩である東山松次郎に会った。東山は浴衣を着て両袖を肩にたくしあげている。彼は苦学力行の士であった。政治科在学中から「青年雄弁」という雑誌を経営し、自分でその社長になっている。小柄でいつも色艶のいい頬をしていた。――精悍で、キビキビしているだけに、素ばしっこく、ぬけ目のないかんじが一挙一動の中にくっきりとうかびあがっているのである。どの大学や専門学校でも雄弁会全盛の時代なので、彼がその頃売れだしたばかりの「野間清治」の向うをはって、「青年雄弁」の発行を企てたことはたしかに着眼の妙を得たものであった。西方現助は予科生の頃に、東山の雑誌の編輯長で、「早稲田大学雄弁会」に羽振りを利かせていた木尾鉄之助にたのまれて、「青年雄弁」の臨時記者になり、その頃、新帰朝者として英文科の教授になったばかりの坪内士行の演劇論に関する談話筆記をやったことがある。もちろん、報酬なぞを意識においてやった仕事ではない。むしろ、そういう仕事に関与しているというだけで彼は内心得意でもあれば、そのとき自分を推挙してくれた木尾に対して尠なからず感謝もしていた。
 それから、もう一年が経っている。現在の西方は堺枯川の経営する、売文社に出入して、ひとかどの革命家を気どっていた。もはや「青年雄弁」などを眼中に置いてはいない。天皇の行幸される日とか、何か政治的事件の起りそうなときには必ず朝から西方に尾行(巡査)がついている。幸徳事件以来、そういう習慣が不文律のようになって、ずるずるとつづいているらしい。その頃、堺枯川を中心とする幾つかの学生グループがあって、帝大(現在の東大)からは、学校内に新人会という組織をつくっている宮崎竜介、赤松克麿、三輪寿壮、新明正道等の学生が堺の家に出入りをしていたし、明治大学からは佐々木味津三、村瀬武比古等が別のグループをつくってちかづいていた。その中で、売文社系統の実際運動に直接関与しているのは早稲田大学に籍をおいている西方現助と青木公平だけである。その証拠にはこの二人には必ず尾行がつき、時によっては、尾行も一人だけではなく、学校の表門と裏門に立って授業が終って出てくるのを待っていることもあった。
 東山はその年の三月、学校を卒業して、「青年雄弁」に専らになっていたが、西方の姿をみとめると、
「ああ、君」。
 と、親しそうな声をかけながらちかづいてきた。
「重大な問題が起っているんだ、これだけは是非とも君たちに相談しなきゃならんと思っているんだが」。
 彼は四つ角にある病院から二、三軒先きにあるミルクホールをゆびさした。それから先きに立って歩きだした。その頃、カフェーというものはなく、学校の周囲にも二、三軒の「西洋料理屋」があるだけであった。…

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