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早稲田大学
わせだだいがく
作品ID58620
著者尾崎 士郎
文字遣い新字新仮名
底本 「早稲田大学」 岩波現代文庫、岩波書店
2015(平成27)年1月16日
初出「早稻田大學」文藝春秋新社、1953(昭和28)年10月20日
入力者フクポー
校正者孝奈花
公開 / 更新2022-10-21 / 2022-09-26
長さの目安約 76 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 新秋の一日、――私は大隈会館の庭園の中を歩いていた。午後の空が曇っているせいか、手入れの行きとどいた庭園でありながら、何となく荒廃したかんじが視野の中にあふれている。昔は樹立のふかい、雅趣のゆたかな庭であった。時代とともに錆びついた色彩が、チラチラと記憶の底からよみがえってくるだけに、今はあとかたもなく変りはてた、がらんどうの広場をゆびさしながら、此処が昔は落葉に埋もれたほそい道で、老侯爵は毎日必ず食後の散歩をされるのが習慣になっていました、――と、自信にみちた調子で語りつづけるN氏の声から、私は何の印象をさぐりあてることもできなかった。
 戦災で焼け落ちたあとに、「大隈会館」と呼ばれている、あたらしくつくられた集会所式の建築が、私の記憶の中に残る古色蒼然たる庭園の風致と調和していないためでもあった。
 昔は底の知れぬほど宏大であると思った庭が、これほど小じんまりとした寸の詰った地域に限られていることにさえ私は先ず驚愕の眼を瞠った。まだ季節は九月も半ばをすぎたばかりで風のつよい日であったが残暑はしっとりと大気の底にねばりついている。雲は低く垂れさがってはいたけれども、しかし新秋の爽かさは、ときどき、しいんと身うちに迫るようであった。庭園の周囲にあった杉の並木も、ことごとく戦災のために枯れつくして、昔ながらの形をとどめている樹木なぞは一本も残ってはいないというのだから、荒廃のかぎりをつくしたものらしい。その焼あとの中から、これだけの原形をさぐりだすことさえ容易な仕事ではなかったかも知れぬ。
 その日の午後、私は新橋駅から自動車を走らせ、正門前らしいところで車をとめると、すぐ本部に、あらかじめ打合せのしてあったN氏を訪ねた。N氏は三十年前、私の在学時代の先輩である。私はN氏の案内で、正午すぎのひとときを、足にまかせて校庭の内部を彷徨い歩いた。歩きながら私の心はたちまち幻怪な思いに打ちのめされた。私の記憶の底に三十年間いつも同じかたちで夢のようにたたみこまれている学校のすがたは、もはや影さえも残してはいない。私は数年前、久しぶりで矢来坂上にあるS出版社を訪れ、その帰りみちに何の計画もなしに、わざわざ自動車を遠廻りさせて学校の前を通りすぎたことがある。季節はちょうど今と同じ九月であったが、おそらく懐旧やる方なしという思いに唆られたものであろう。正門の前に自動車を待たせ、ふらふらと校庭の中へ足を踏み入れたとたんに、私は奇妙な光景にぶつかった。三十年間、母校の校庭を歩いたことのない私にはもはやどこに何があるのか見当のつくべき筈もなかった。門を入ったときから何か唯ならぬ気配をかんじていたが、正面の教室らしい大建築の正面に演壇が設けられ、小柄な一人の学生が何かわめくような声で叫んでいた。
 その前には「レツド・パーヂ反対」と大書したプラカードを持った学生が列を組んで…

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