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早稲田大学について
わせだだいがくについて
作品ID58623
著者尾崎 士郎
文字遣い新字新仮名
底本 「早稲田大学」 岩波現代文庫、岩波書店
2015(平成27)年1月16日
初出「早稻田大學」文藝春秋新社、1953(昭和28)年10月20日
入力者フクポー
校正者孝奈花
公開 / 更新2023-10-21 / 2023-10-16
長さの目安約 18 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 批判という言葉に拘泥すると、早稲田大学という特定な学校形式はまったく存在のないものになってしまう。特に学生のもつ生活内容が、内側から生ずる思想や情熱の環境によって基礎づけられることが稀薄となり、常に外側から来る政治力と結びつくことによって決定されるような傾向を示している時代には、特に学校の性格だけをとりあげて云々するということそれ自体が既に一種の時代錯誤でもあろう。
 しかし、それにもかかわらず、不思議に一つの伝統的雰囲気というべきものは、むしろ学校のワクをはなれて一般民衆の生活感情の上に濃厚に反映している。
 必ずしも官学と私学という対立的な認識の上に立たなくとも、東大、早稲田、慶応、明治、法政、といったような学校形式の上にあらわれた気質的相違はおそらく牢として抜くべからざる絶対的な感情を示しているのだ。ところで、今日(五月二十七日)の「読売新聞」で、最近の大学を目標とする、教育と政治との限界について開かれた座談会記事を読んだが、その最後に長谷川如是閑が、結論的な意味で、おもしろい意見を述べている。

昔のはなしだが中央大学で予科を廃止した、それが事前に学生にわかって学生はストライキを起した、テーブルを片っぱしから倒し、先生がくると拍手をして追い返した、そのとき若槻礼次郎先生は、その倒れている机を乗り越えて、自分の受持ちの教室の演壇に立って、だれもいない教室でリーダーをひろげて講義をはじめた、廊下にはストライキを起した学生が教室の中をのぞいていたんだが、そのうちに一人入り二人入り、倒れている机を起して、いつのまにかみんな学生が入ってきて若槻先生の講義を聴きだした、つまり、ストライキでさわいだ学生が若槻先生の気魄に呑まれてしまったわけで、いまの大学教授には、そういう度胸のあるひとはいない。

 何も気魄や度胸だけに拘泥するわけではないが、私は、これを読みながら二十余年前に見た一つの情景を思いうかべた。人間の「イキ」とか「ハリ」とかいうものは一種本能的なもので、人間性というものを追及してゆくと、どこからかこいつが顔をつきだすような仕組になっているらしい。もっと、わかりやすくいうと、早稲田気質とか三田気質とかいう砕けた言葉によって表現された、特殊な雰囲気と色彩なのである。そういう考え方においては福沢諭吉によって創始された慶応義塾という名称にはぬきさしのならぬ伝統がこびりついているし、早稲田は早稲田で、大隈重信によって創立された「政治専門学校」の歴史にさかのぼることなしには、雰囲気の由来するところを究めるわけにはゆくまい。
 今の、長谷川如是閑の言葉から、私は図らずも一つの情景を思いうかべたといったが、そういう意味の人間的体臭において、早稲田はもっとも臭気ふんぷんたるものを残していた。大正六年、たしか八月の終りか九月のはじめであったと思う。銅像問題という名前で伝…

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