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綜合大学を迎へて
そうごうだいがくをむかえて
著者会津 八一
文字遣い旧字旧仮名
底本 「會津八一全集 第七卷」 中央公論社
1982(昭和57)年4月25日
初出「夕刊ニイガタ」1948(昭和23)年5月9日
入力者フクポー
校正者杉浦鳥見
公開 / 更新2019-11-21 / 2019-11-01
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 綜合大學が新潟に出來ることに本ぎまりにきまつたといふことはまことにうれしい。いち早く氣勢を上げて、猛烈に奔走してくれた指導者たちに感謝しなければならない。
 けれども、綜合大學は、もう全國に二十も出來てゐる。ひろく見渡せば、珍しいものがこれから出現するのではない。これが出來たからといつて、この縣が他縣に對して大に威張れるといふのではない。もし大に威張りたいなら、實質的に、ほんとに上等のものを作つて見せなければならない。貧弱なものでは威張るどころの話でない。
 大學といふのは學校としては一番高等のもので、最高の學府などといつてゐる。敷地の廣いのも、建物の立派なのも必要ではあるが、それより大切なのは、いい教師といい學生のたくさん集まることである。いい學生はいい教師のゐる大學でなければ集まつて來ない。いい教師は器械や、標本や、參考書が必要なだけ設備してもらへないやうなところへは來てくれない。だからかうした設備のことは敷地や建物よりずつと大切だ。そんなことは分りきつてゐるといつてはいけない。ほんたうに分られてゐたとは思はれない。その證據は、今日までに出來てゐた二十の綜合大學でも設備がよくて、教師も學生も理想的に整つてゐる所ばかりであつたとはいへない。だからまた、これから我等の縣で作る大學が、これらの不完全だらけな從來の大學より、もつと粗末なものであつてはならない。勿論從來のものを凌駕するだけの意氣込も熱意もなければいけない。その覺悟がついてゐて、その上で、私のいふことを、分り切つてゐるといふならば、まことに頼もしい。
 これまでは、教育のことは御上まかせで、文部省の役人が案をひねつて、上から命令してやらせたが、これからは、國民が自分なり自分の子弟なりを教育する機關や方法を、自分でよく考へなければならなくなつた。自分等のために自分等が實行することを、自分等で考へるのはあたりまへのことである。新潟縣がいい大學を持つやうに大に考へてもらひたい。
 ことに、これまでの大學には、徴兵猶豫の特典を惡用して、學問などは少しも好きでないものや、または、就職の時に履歴書を飾るといふ、ただそれだけのために、卒業證書をほしがるものなどが、入學の手續をしに集まつたものも少くなかつた。そんなことでは、ほんとの學問も教育もが、どこの大學でも行はれてゐなかつたと、いつてもいいかもしれぬ。そんな大學ばかりでは、これから平和のうちに文化を以て世界に國を建てるなどといふわけにはいかない。なまやさしいことで學問の蘊奧を窮めるなどといふことは出來るものでない。だから今の時勢にぴつたりと適合した大學をこちらで建てるつもりなら、在來のものより、ずつと理想も高く、覺悟も深く、いかなる犧牲をも甘んずるといふのでないといけない。しつかりと腰を据ゑてかかつてもらひたい。
 正直にいへば、新潟縣人は、他縣の人たち――…

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