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分身の感あり
ぶんしんのかんあり
作品ID58683
副題第二部 堀口大学
だいにぶ ほりぐちだいがく
著者佐藤 春夫
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第25巻」 臨川書店
2000(平成12)年6月10日
初出「読売新聞 夕刊」1957(昭和32)年1月23日
入力者えんどう豆
校正者夏生ぐみ
公開 / 更新2018-03-15 / 2018-02-25
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 堀口大学は越後長岡の藩士の家に、父九万一の東京帝国大学に遊学中、その本郷の寓に生れたといふ。僕と同じく明治二十五年生であるが、彼は一月僕は四月で僕より百日の長である。ともに十九歳の一日、新詩社の歌会で落ち合つたのが初対面で与謝野晶子さんに紹介されて交を結んだ。爾来四十七年間、常に好謔悪謔を戦はして談笑を喜ぶがまだ一度も争ふ事のない莫逆の友で分身の感がある。この永年の交遊は専ら彼の寛厚の性に因る。老年その詩作の益々佳境に入るのは彼が生来の詩人たる事を証するものであらう。少年より同門で詩作をともにし、同じく荷風先生を敬慕して三田の塾に通ふ。彼は先づ父の公使とし在任したブラジルに赴くために三田を去り、つづいて僕も三田の塾を退く。彼は爾来十六年(?)か乃父とともに海外にあつて好んで新風の詩文を愛読した。その訳詩集「月下の一群」は彼の業蹟中の重要なものであるが、その他ポール・モーランの短編集などの好訳があつて文壇に貢献するところ尠くなかつたのだから今日芸術院会員として推挙されるのは当然の結果である。芸術家の詩歌の分科には河合酔茗以外に詩の会員なく室生も僕も小説作者としての芸術院会員だから、ここに詩壇の老新鋭堀口大学を詩歌分科会の会員に加へたのは芸術院の措置としても最も当を得たものと云ふべきである。僕常に戯れて僕は三田の塾は中退したが堀口大学は卒業したと。彼の諸飜訳による啓発を感謝する意味である。



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