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![]() かくめいをまつこころ |
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作品ID | 58686 |
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副題 | ――今の実業家、昔の実業家―― ――いまのじつぎょうか、むかしのじつぎょうか―― |
著者 | 鮎川 義介 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「文藝春秋 昭和二十八年十一月號」 文藝春秋新社 1953(昭和28)年11月1日 |
初出 | 「文藝春秋 昭和二十八年十一月號」1953(昭和28)年11月1日 |
入力者 | sogo |
校正者 | 富田晶子 |
公開 / 更新 | 2018-01-01 / 2018-01-01 |
長さの目安 | 約 13 ページ(500字/頁で計算) |
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環境が人をつくる
私が井上侯の所へいつたのは學生時代のことであつたから、二十歳くらいであつたろう。それから五、六年いたように思う。
明治初期の頃の書生は、青雲の志に燃えた者が多かつた。その頃は教育機關がまだ整備されておらなかつたので、そのような若者は偉い人の所へ書生に入つて、そこで勉強するというのが、出世をする一つの道程であつた。今のように大學が各所にあつて、學資さえあればどんどん大學を出られる、という時代ではない。だから同郷の偉い人を頼つて、そこの書生になつたものである。
それは人を知ることが眼目であつた。玄關番をしていると、訪問者は必ずそこを通過するのだから、知名の人に接し、そこから立身出世の道を開くことができる。それが書生の權利になつていた。だから、今の學生がやるアルバイトのようなものではない。
明治時代の實業家を私が見たところでは、擡頭期のことではあり、社會が狹く、問題も少かつたが、當時の實業家には、國家的の觀念が強かつたと思う。
日本の御維新によつて世界に飛出してみたわけだが、出てみると、世界の文明から非常に遲れている、これは大變だ、産業も教育も文化も、すべて一度に花を咲かせなければならぬと考えて、非常に焦躁の念に驅られたのである。そこで大變な努力をしたのであつて、全日本が、われわれのような若い者までその空氣の中に置かれたわけである。そうした風に吹かれたのは、われわれが最後かと思うが、その氣持ちは今でも私などに遺つている。
しかし日清戰爭、日露戰爭とやつて來て、日本は一等國ということになつた。實際はなつておらなかつたろうと思うが、なつた、なつたと言われて、國民は滿足していた。日英同盟をやつた、一人前になつた、という氣持ちになつたのである。實際を見極めるような偉い者はおらぬ。衆愚はアトモスフェアで左へゆき右へ動く。戰爭で勝つた、日本は偉い、一等國だ、と新聞が書けば、ほんとうに一等國になつたと思う。
われわれの若い時には、大きな革命の餘波が流れていた。偉い先輩のやつた足跡を、書物を通じてでなしに、じいさんやばあさん、或いは親父に聽いても、ペリーが來たとか、馬關の砲撃をやつたとか、そういう威勢よい話ばかり、それから苦心慘澹した話もある、どんな困難なことでも、やりさえすればやれる、という話ばかりである。
今の人は、どうせ出來やせぬ、やらなければやらないで濟む、やつたからといつて、それほどの効能もない、狡く世の中を渡ろう、パンパン暮しのほうがいい、こういう空氣になつているのではないかと思われる。
この空氣を變えるには、革命以外にない。漸を逐うて改めるということではないのである。思い切つて手術をして膿を出せば、新しい肉が盛り上つて來るのと同じことで、今の空氣を書物に書いても講釋しても改められるものではない。そんな安つぽいものではない。それほ…