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老人退場説
ろうじんたいじょうせつ
作品ID58687
著者山浦 貫一
文字遣い旧字旧仮名
底本 「文藝春秋 昭和二十八年十一月號」 文藝春秋新社
1953(昭和28)年11月1日
初出「文藝春秋 昭和二十八年十一月號」1953(昭和28)年11月1日
入力者sogo
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-01-01 / 2018-01-01
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

老人醫學は考えもの

「老人の日」などと號して六十以上の老人を煽てあげることが流行して來たが、六十になつた私は却つて全くやり切れない程、くすぐつたい話だ。
 近年、老人病學なる醫學がアメリカで流行り出し、それがわが國にも傳染して來た。私なども正にその對象患者の一人で、ホルモンやビタミンやに大いなる關心をもつようになつたが、どつこいこいつは考えものだ。國家全體の利得という點を思うに、老人の死亡率が減つて、出生率がこれに併行して來ると弱體國家になつてしまう。例はフランスにある。
 厚生省の調査によると、近年この傾向が著しくなつている。現在のところ六十歳以上の人口は六百五十三萬人(廿六年)で全人口の一割弱を示しているが、だん/\パーセンテージを増して行つて、將來は老人優勢國になるというのだ。恐るべきことである。

姥捨山の眞理

 今でも信州に姥捨山という所がある。昔は老人になるとこゝへ捨てられたという傳説が殘つている。太平洋戰爭中、六十以上の老人には米その他の配給量が減らされた。一種のウバステ山方式である。生活の困難な時代では、生産に役立つことの少ない者は生産に役立つ者に席を讓つて、國家社會の共榮をはかる必要があつたのだろう。もつとも、あのバカ戰爭のように、生産に役立つた者をみな殺しにして、老人の生命をながらえるような逆効果を來したのは、甚だ愚かなる悲喜劇であつたが。
 さて、人生わずか五十年といつたのは、老人醫學の發達しない時分のことで、今では男の平均年齡が六十を越え、女が男より上まわるというのだから、人生わずか六十年にはなつたわけである。そこで、六十になつたら老人の仲間に入り、老人の日に奉られる資格を持つわけになる。アメリカのように廣大な領土と無限の富をもつて、世界中にMSAを出しているような國や、スウェーデンのように土地が日本の十倍もあつて人口が日本の十分の一しか無いという福祉國家では、いくらでも老人優遇の社會保障が成り立つだろうけれど、わが國のように、あり餘るのは人口だけ、後はないないづくしの國柄で、老人ののさばることは、即ち生産年齡層に對する社會保障を阻止することになる。だから、老人の日もいゝ加減にして、生命は自然の成り行きに委せる方が、可愛いゝ子や孫のためにもなろうというものだ。

安んじて天壽を完うせしめよ

 老人病學の對象と云えば、高血壓にガンが兩大關だろう。このほか、糖尿に腎臟に、インポテンツに、いろいろあるだろうが、生産増強の分には餘り關係は無さそうだ。恐らく、醫者と藥屋の繁昌をたすけるのがオチになる。それに……實は私もその一人だが……多くの老人は、金のあるにまかせて、無い者は質をおいて、一年でも長生きしようと、醫者を繁昌させ、インポテンツの惱みを解決しようとして、高いホルモン劑にとびつき、葉緑素だの綜合ビタミンだのと、手當り次第に試みるの…

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