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鴎外全集刊行の記
おうがいぜんしゅうかんこうのき
著者永井 荷風
文字遣い旧字旧仮名
底本 「荷風全集第十五卷」 岩波書店
1963(昭和38)年11月12日
初出「時事新報」1922(大正11)年11月21日~23日
入力者菜夏
校正者きりんの手紙
公開 / 更新2019-07-09 / 2019-07-09
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 森先生著述の全集十八卷いよ/\印に付せられんとす。そも/\今年七月九日先生の俄に簀を易へらるゝや、之を哭し之を悼しむ者、心竊に先生が著述全集刊行の擧の一日も速ならむことを希ひたり。蓋先生を喪ひたる文壇の損傷を補ひ、又聊吾人痛惜の情を慰むべきもの、今や纔に先生生前の著書を蒐集し、之を重印して以て後世に傳へんとするの外他に道なきを以てなり。然りと雖この事固より容易の業ならず。加るに先生の令嗣於菟君の恰海外に遊學せらるゝあり。後事は都て同君歸朝の日を待たざるべからざるが故に、全集刊行のことは輕々しく之を口にするものはあらざりき。
 七月十二日先生の柩は谷中墓地齋場より向嶋弘福寺の塋域に移されたり。越えて七月十六日森家にては葬儀の折立働きたる人々を、上野精養軒に招ぎて、厚く當日の勞に酬ひられけり。その折にも全集刊行の事は未話題に上らず、唯與謝野君のわれに向ひて、吾等は先生の尺牘雜筆など散佚の虞あるものを、今より心して集め置くべしと語られたることありしのみ。上野公園はその夜博覽會花火の催にて雜[#挿絵]しゐたり。吾等はこの雜[#挿絵]をよそにして、賀古先生がむかしがたりに亡き森先生が壯時洋行中の逸事より、又そが初めての小説うたかたの記の由來なぞ聞知るにつけて、更に哀悼の思を新にしたりき。
 八月となりて殘暑は日に日に甚しく、われは常のごとく家にのみ引籠りて人に逢ふ事も稀なりしかば、庭樹に鳴く蝉の聲より外何事もきかず、いつか九月を迎へたり。その月六日突然與謝野君の電話に接しぬ。森先生全集刊行の機漸く到來せり。即刻御足勞ありたしといふ。赴き見るに平野萬里小嶋政二郎の兩氏既に來たまへり。與謝野君の曰く先生の著書にして一たび刊行せられしものは、大略先生の生前手づから類を分ちて整理したまへるもの、千朶山房に藏せられたり。過日森家より右の藏本を基として全集編纂に從事すべき旨交渉ありたり。又遊學中なる御令息にも、既に電報にて御意見を問ひ畢りたりと。而して全集の編纂に參與すべき人員もその折大略定まりてありき。いづれも森家及びその近親の方々の意向に基きしものなりといふ。我はわが名の其中より漏れざりしを見て感激の情押へがたきものありき。唯こゝに一瑣事の少しくわが心に問うて平なること能ざりしは、全集刊行書肆の中に新潮社の名の加へられたる事なり。是につきては包まず與謝野君に向つてわが思ふところを告げたればこゝには記さず。
 十一月二日重て與謝野君より電話あり。同夜富士見町五丁目なる明星發行所に赴くに、宮内省圖書寮編修官吉田増藏、慶應義塾教授小嶋政二郎、明星社同人平野萬里の三氏、及び國民圖書會社取締役中塚榮次郎座に在り、森先生の著述にして一たび刊行せられたるもの、既に明星發行所の床の間に山をなしたるを見ぬ。吾等一同はまづ此大部の著述の果して能く豫定の卷册に收載する事を得べきや否やを議し、次に…

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