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ある偃松の独白
あるはいまつのどくはく
著者中村 清太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「ある偃松の独白」 コマクサ叢書、朋文堂
1960(昭和35)年5月15日
初出春雪写山行「旅」1940(昭和15)年4月<br>黒部川峡谷の話「山岳 第十二年第一号」1918(大正7)年2月<br>枯木の美と怪「国立公園」1952(昭和27)年3月<br>雪山と廃道「山 二巻二号」1935(昭和10)年2月<br>七面山冬ごもりの記「山小屋」1947(昭和22)年<br>黒部川初遡行の追憶「山と渓谷」1939(昭和14)年7月<br>大雪山あれこれ「国立公園」1955(昭和30)年
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2020-04-30 / 2020-03-28
長さの目安約 268 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#挿絵]
剱岳列嶂(後立山布引より)

[#改丁]





 これは私の前著「山岳渇仰」――戦時最悪の条件下で生れた――に次ぐ第二集で、あれに洩れたものと、その後の文章から選んで、ささやかな一本に纒めたものである。書名はその中の一篇から採った。
 山は私にとって全くありがたい存在なのである。いつからか私は山に向えば、思わずぬかずき、拝む癖がついている。いわば山は、わたくし流の自然教の偶像といってもいい。
 思えば明治の探検期以来、半世紀を越える年月を、山の恵みにあずかってきた私は、まことに仕合わせであるが、山も時代の外に超然たるわけには行かなかった。今そこには、探検時代に無かった山気の混濁がある。単に炭酸ガスの増加だけではない。一種の悪気が漂うのだ。そして何か山に対する心に欠けたところがある。
 それが、ひいて山の自然を破壊する。人間の精神活動の源泉たる自然、その大切な宝庫を、みずから破壊する矛盾をおかしている。遭難はおろか、暗い霧のかなたを指す導標に、〈民族自滅へ〉と書かれていなければ幸いである。
 畏れと、慎しみと、感謝と、それに自然を敬重する知恵が要望されること、今日より切なるはない。
昭和三十五年早春、頼もしき鶯の声を味わいつつ 阿佐ヶ谷の七葉山房にて
清太道人





梅が香や雷鳥の影まぼろしに
[#改丁]

春雪写山行



 どこから降るのかいつまで降るのか、分らぬような山の雪も、旧正月が峠でようやく間遠に、いつか角度を高めた陽光は、積雪に映発する。久方ぶりに天上の峰たちも、新しいおもてを輝かし合う。長夜の銀世界に、かくて春は明けそめるのだ。この頃画嚢を提げて山に入るこそ何らの清福。今年もそのため、冬山のつかれがぬけないのに又旅支度だが、去春の蓮華山中も実によかった。当時の山日記を翻えしても、あの熱い光りを浴びる心地だ。
[#挿絵]
 旅立ちは二月下旬の、秩父おろし烈しい日だった。富士も白峰、赤石も、晴れきって烟霞を吐く。北アルプスはさすがに雲をかむって濃紫にかげり、雪がチラチラ舞い落ちる。森上で山人Yに迎えられ、新田の彼の家まで来れば、雪は五、六尺もある。一つ棟に馬も住む、広い山家の炬燵で、赤菜の漬物に一陶を傾けると、深い落着きを覚える。
 次の日ゆっくり、Yと共に落倉に向う。大杉の杜に諏訪明神を拝んでスキーをはく。時折り風が小雪を飛ばす。楠川は雪間に清流を隠顕させる。落倉小屋は客も無く、電燈などより、朧ろな新月と星とが無上にありがたい。
落倉にて
 ここにつづいて、栂池、乗鞍までの十数日、まったく日々好日。晴れるも降るも、微妙な変化の美しい天地に囲まれて、激しく又楽しく仕事した。暦はすでに三月に入り、一日まず大快晴。前晩は飛雪のひまに半月がのぞいただけだが、早朝窓をうかがうと、明けやらぬ空に白馬三山が、劃然と現われ、六時二十分には峯…

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