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愛情
あいじょう
作品ID58708
著者林 芙美子
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆53 女」 作品社
1987(昭和62)年3月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2023-06-28 / 2023-06-19
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 心を高めるやうな無窮の愉しみと云ふものは、いまだに何一つ身につけてはをりませんが、小説書きの小説識らずで、まして音楽にしても絵画にしましてもわたくしは一文字も解らない童児なのです。だけど、それらのものは不思議に愛情をもつて観たり聴いたりすることが出来ます。世間ではよく趣味のあるなしを論じるひともあるけれども、眼の高さ、学問の高さをとりのぞいたならば、君子も乞食も、絵や音楽や文学は一様にきらひなものではないでせう。
 遠州流の祖小堀政一侯の壁書のなかに、「君に忠孝をつくし、家々の業を懈怠なく殊に旧友の交りを失ふなかれ、春はかすみ、夏は青葉がくれのほとゝぎす、秋はいとゞさびしさまさる夕の空、冬は雪のあかつき、いづれも茶の湯の風情ぞかし、道具とてもさして珍らしきによるべからず。名物とてもかはりたることなし、古きとてもその昔は新らしく、唯家に久しく伝はりたる道具こそ名物なれ、古きとて形いやしきは用ひず、新らしきとて姿よろしきときはすつべからず、数多きことをうらやまず少きをいとはず、一品一色の道具なりとも、幾度ももてはやしてこそ、末々子孫までも伝はる道もあるべけれ、一飯をすゝむとても志厚きをよしとす、多味なりとも主たるものの志うすきは、早瀬の鮎、水底の鯉、迚も味ひあるべからず。籬の露、山路のつたかづら、明暮こぬ人をまつ葉風の釜のにえ音たゆることなかれ」
 と云ふことがありましたが、身に徹するよい一章とおもひをります。
 このごろ、薄茶をたてることを少しばかり習ひかけてをりますが、朴念仁のわたしの日常にも、これはまことに明るい清々としたすくひだとおもひをります。
 自然の気持ち、人生いろいろのことにもわたくしは自然なものを愛します。――日頃男の第一義とはどんなことだらうか。男の第一義とはいかなることかと妙なことを考へることがあります。男はさておき、女の第一義は、愛を持つて厨女で終るまた愉しく、それが本命ではないかとおもふことでありますが、厨女と云つたからと云つて、朝夕水仕事で終ると云ふの意ではなく、家の四囲を常にあたゝめてゐる平凡な家婦で終りたいと願ふことなのです。子を愛し、良人を愛し、肉親のすべて、他人、家、家畜、野山すべてのものに、愛厚き女でありたいと念ふことです。
 茶をたててゐて感じますことは、日常、満ちたものよりも足りぬものに、何か魅力を感じ、発足と云つたものを感じますがどうでせう。
 頃日、「ものを知らぬ」と云ふことは名誉なことではないが別に不名誉なことでもないとおもふやうになりました。浅く広くものを沢山識る苦労よりも、小さなことでも一つ一つ心の髄に銘じることは中々のうれしさです。厨女であれば、あれもこれも百貨店のやうなおそろしい心臓を持たなくてもよろしく、よくぞ女に生れけると幸福なおもひを愉しむ時があります。
 お碗でお茶をたてるもよいでせうし、床の間に…

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