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作品ID | 58711 |
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著者 | 前田 夕暮 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本の名随筆37 風」 作品社 1985(昭和60)年11月25日 |
入力者 | 浦山敦子 |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2025-04-20 / 2025-04-20 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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夜
私の追憶のなかで木枯の音がきこえる。木枯の凄まじい音にまじつて、とぎれとぎれに呼ぶ人の声がきこえる。
どうつといふ海嘯のやうな、天も地も吹きとばしさうな風の音が、裏山の方から捲きかへして寄せてくる。と、青竹の数百本、数千本が一時に殺到して、私の寝てゐる上の屋根に掩ひかぶさるやうになつて、大擾乱の騒音に、何も彼も引きさらつて行く。
「おおい……。」
「おおい……。」
「おおい……。」
といふ人のかぼそい声が幽かに、風の底でかすれてきこえる。それは向う山のやうでもあり、裏山のやうでもあり、田圃中のやうにもきこえる。風に吹きとばされる寂しい幽かな人声は、私の追憶のなかで、いかにも哀れに絶え絶えときこえる。
あたりは一面のうす墨を流して、雑木山の裸の尖つた梢が、うす明るい空に、疎らに黒く見える。そして、その梢でさへが、北から南の方へ揺れなびいてゐる。その雑木山のつづきには大きな一かたまりの針葉樹林が、ただ黒く、ただに暗く、空の下に凍つた夜の胞衣のやうにかたまつてゐる。
私の追憶のなかの人声は、はうはうとしてその黒い胞衣の森からくる。
昼
日のあたつた往還が水をかけられたやうに、さつとうす暗くなつたと思ふと、忽ち眼がさめたやうに明るくなる。木の葉が光つてとぶ。日光のなかを縞目をなしてとぶ。太陽の破片がとぶ。空が皺んで、その皺んだ空の一部が吹き捲られて、さつと地に落ちる。
私は往還の方へ門の小坂を駈けおりてみる。
黒い頭巾を被つた老婆が二人対き合つて立話をしてゐる。
「えらい風だな。もし。」
「ほんとにどえらえ風だ。」
「お前さんとこの隣の源坊は神かくしに逢つたちふ話だが、ほんとかな。」
「ほんとでなくつてどうするべい、えらえ事になつたもんだ、昨日の朝裏山に薪をとりに行つてな……。」
「あのえらえ木枯にな。」
「さうだよ、あのえらえ風の日、源坊一人で燃し木を採りに行つたきり帰つて来ねえのでの、昼になつても、夕方になつても、影も見せねえでの。」
「それで、親達は騒ぎ出したんだな、無理はねえさな、親達の身になつてみれば、源坊は一人子だものな。」
「それで、昨夜は村から村へ、山から山へ提灯を十張も十五張もつけてな、太鼓を敲いたり、鉦を敲いたりして、村の衆が二三十人も出てからな、夜徹し大騒ぎして探したんだがな。今朝になつても到頭わからねえつて、一先づ村の衆は引上げて来たのさ。」
「親達はさぞ歎かつしやるだらうのう。」
「それは気狂のやうなものさな。」
「早く見附かればええがな。」
「とてもさ、神匿に逢つちや二日や三日ぢや帰りつこはないでな。」
「そのうちに、親達が諦めた時分に、髪の毛をほうけさせて、着物も何もかぎ裂きにでもして、ぼうつとなつて帰つて来ないものでもないでな。」
「どんなもんだかな、ほんとに可哀相なことをしたものだの。」
「ほんとにこんなえ…