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作品ID | 58755 |
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著者 | 柳田 国男 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「定本柳田國男集 第十五巻」 筑摩書房 1963(昭和38)年6月25日 |
初出 | 「家族制度全集史論篇第三卷親子」河出書房、1937(昭和12)年12月20日 |
入力者 | フクポー |
校正者 | 津村田悟 |
公開 / 更新 | 2025-01-11 / 2025-01-07 |
長さの目安 | 約 34 ページ(500字/頁で計算) |
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第一
親といふ漢字を以て代表させて居るけれども、日本のオヤは以前は今よりもずつと廣い内容をもち、之に對してコといふ語も、亦決して兒又は子だけに限られて居なかつた樣に思ふ。その證據は既に幾つか發見せられて居るのだが、詳しく其一つ/\を解説する時間が無い。爰には只主要なる或問題を敍述する序を以て、一通り個々の要點に觸れて置くに止める。
オヤとコとの内容が本來はもつと廣かつたらしい證據は文獻の上にも見られる。父母を特にウミノオヤと謂ひ、その所生の子女をウミノコと謂つた例は至つて多く、單にオヤといひ又コとのみいへば、其以外のものを含む場合が決して少なくないのである。萬葉集などの用ゐ方は人がよく知つて居る。或時には我思ふ女をコと呼び、又時としては兵士をもいざコドモと喚びかけて居る。沖繩の神歌にコロといふのも兵卒であつたり、人民のことであつたりする。決して家々の幼な兒には限らぬのである。文章以外の國語には、今でも特に小兒を意味するアカゴ・オボコの類が多く、一方には又個々の勞働者を、セコだのヤマコだの、アゴだのカコだのハマゴなどと、コと呼んで居る語が無數にある。さうして其頭に立つ者がオヤカタなのである。
第二の痕跡としては現在の日用語で、弘く親類をオヤコといふ土地が、ちよつと方言ともいへない程多いことである。シンルヰとかイッケとかいふ日本語は、何れも漢學以來の新語であつて、この名詞よりも制度そのものは必ず古い。しかも其以前、所謂親類を何と呼んで居たらうかと尋ねて見ると、オヤコといふ以外には是ぞといふ心當りもないのである。イトコは我國の南北兩端で、この意味に用ゐられて居る區域が若干あり、或はオヤコよりも一つ古いかと思はれるが、其他はミウチ・ヤウチ・クルワ等、何れも局地的で大きな勢力は無い。之に反してオヤコの行はれて居る面積は、今でも日本の約半分で、近松の淨瑠璃にもあるといふから、以前は京阪地方さへさう謂つて居たのである。
第二
試みに現在方言として報告せられて居るものを列記すると、東北は青森以南の六縣とも、親類をイトコといふ僅かな區域の外は、大體に皆オヤコを用ゐて居る。或はウミノオヤコと區別する爲に、オヤグ又はオヤグマキと謂つて居る處もあるが、是は分化であつて、會津地方の如きは却つて實の親子の方をオヤグと發音し、石城地方では是だけをジシンノオヤコとも謂つて居る。それから越後でも中頸城の桑取谷、信州でも諏訪の湖畔、美濃でも西境の揖斐山村には少なくとも此語があり、甲州にはオヤコに二通りの意味があつて、音抑揚で之を差別して居るといふ。關東平野ではもう少なくなつたかも知らぬが、民謠の中にはたしかに殘つて居り、靜岡縣は全縣を通じて、今なほ親戚をオヤグ又はオヤコと謂ふ者が多い。是で先づ日本の東半分は、曾てオヤコが親類のことであつたと、推定することが出來るのである。
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