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小児生存権の歴史
しょうにせいぞんけんのれきし
作品ID58763
著者柳田 国男
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本柳田國男集 第十五巻」 筑摩書房
1963(昭和38)年6月25日
初出「愛育 一卷三號」1935(昭和10)年9月
入力者フクポー
校正者津村田悟
公開 / 更新2024-05-20 / 2024-05-13
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 兒童の生存權に就ては、私が云ふまでもなく民法の原則によつて世界中非常な變遷を經て今日の状態に至つてゐるが、その生存の權利それ自身がいつから始まつたかはつきりしてゐない。それがどう云ふ風な變遷を經て、又如何なる觀念によつて今日までに至つたか、それを一通り話して見たいと思ふ。
 人間が一人前になつたと云ふ一つの標準に成年式と云ふものがある。日本では兵役の關係があつたと思ふが、近年になつて民法制定の際にこれを大變高く引上げた。その式を擧げる平均年齡は十五で、この年に元服して始めて一人前の仲間入りが出來、生産にも分配にも男一人と勘定されるほか、一人前として結婚もし得るに到るのである。
 元服の諸條件には前髮を取り、肩上げを下し、褌をかゝせ、名前を變へるなど目立つてそれとはつきり判るものがあつたが、今日ではさうした外形的變化が微弱になつてしまつた。然し注意して見ると、それでも未だその痕跡が殘つてゐる。例へば石川縣の白山下邊りでは、十五の前後には必ず親戚知己を呼んで宴會をする。それは武士酒とか前髮酒とか云つて元服の名殘りを留めるものである。又現代では褌をかくと云ふことが段々廢つて來て、いつ元服したか少しも判らない樣な状態であるが、これは農村などへ行くと、今でも親の氣にする可成り重要なことで、女の方でも大人になつた時の徴候は重要に考へられてゐる。そしてその時の祝を褌祝ひとか、たぶさき祝とか、兵兒祝ひとか色々な名前があるが、不思議なことには關東でも關西でもその時には一樣に叔母が褌を呉れることになつてゐる。それがどう云ふわけで叔母がくれるのか、又呉れるのは父方母方いづれの叔母か私は未だはつきり突きとめてゐないが、兎に角「叔母呉れ褌」と云ひ、信州の南部邊で聞くと、十五でそれを叔母が呉れる所と、十三で呉れる所とがあり、男でも女でも叔母が呉れることになつてゐる。この他に殘つてゐる慣習に烏帽子親と云ふのがある。この烏帽子親は假親の一人で、一生の間交際をして實の親より義理が強い。この親が即ち名付親で、これが通例兵兒親、褌親となり、假りに叔母さんがそれに頼まれると、女ならば母方から、男ならば父の方から選ばれて、褌の綺麗な新しいのに熨斗をつけて送る所もある。
 その結果として元服した者はあらゆる方面から家の附屬物としての待遇から拔け出し、親と子と同じやうになるのであるが、この他に元服前の人間が、一つの物の生命となつて行く一つの階段がある。
 子供が十になつた時を「十子」と云つて、そこを一つの境目として居た。もつと重要なのは、數へ年七つ、つまり小學校へ入る境目で、これが一つの階段になつてゐる。この階段を重要視した制度が全國的に廣く殘つてゐる。私の子供で實驗したが、東日本全體によく目に着くのは幟の例で、私の子供が七つになつた時、此月からはもう鯉幟は立てないと云ふことを祖父さん祖母さんから云は…

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