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魂の行くへ
たましいのゆくえ
作品ID58770
著者柳田 国男
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本柳田國男集 第十五巻」 筑摩書房
1963(昭和38)年6月25日
初出「若越民俗 五卷二號」福井縣民俗學會、1949(昭和24)年12月
入力者フクポー
校正者津村田悟
公開 / 更新2024-08-08 / 2024-08-08
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 盆のお精靈を、山の嶺へ迎へに行くといふ風習が、大野郡下荒井の部落にあるといふ簡單な記事は、私たちにとつてはかなり貴重なものである。越前では今もまだ先祖の魂が、山の高い處に留まつて居て、盆にはそこから子孫の家を訪れて來るといふ信仰が、そちこちの山村に保存せられて居るのではあるまいか。何とかして誘導尋問の形でなしに、諸家の故老の言ふところを聽き集め、それを綜合して見たいものと思ふ。
 昭和二十年の秋、自分が世に送つた「先祖の話」といふ本には、古來日本人の死後觀は此の如く、千數百年の佛教の薫染にも拘らず、死ねば魂は山に登つて行くといふ感じ方が、今なほ意識の底に潜まつて居るらしいと説いておいた。是にはさう思はずには居られない數々の根據があり、決していゝ加減な空想ではなかつたのだが、何分にもその一つ/\の證據力が弱く、日頃耳に馴れて居る天上地底の後生説を、打消してしまふには足りなかつた。是からさき我々がどちらを信じてよいかの問題とは關係なく、かつてこの國の住民の多數が、どう思ひ込んで居たかは事實なのだから、二つとも本當だといふことは無い筈である。それを決定しようとすれば、この越前の風習は粗末にならぬ資料である。
 現在の盆の魂迎へは、通例は廟所、即ち石塔の在る處へ行くことになつて居る。墓も動け我が泣く聲は秋の風などといふ句さへあつて、故人の靈もまた土の中に休んで居るやうに、推測する者が段々と多くなつたやうに思はれる。しかし誰でも知つて居ることは、石碑を一人々々の死者のために、建てるやうになつたのは新しいことである。古いといつても元祿以前の石は甚だ少なく、日清戰後の頃から、急に個人のものが多くなつたが、それでもまだ共同の墓地に送られ、追々に其場處の知りにくゝなるものが相應にあり、しかも盆の魂祭りをせぬ家は、村方には少ないのである。どこへ精靈さまを迎へに行きますかといふ問ひは、民俗學の仲間には屡[#挿絵]必要であつた。
 谷川の流れの岸へ、又は橋の袂へ、又は路の辻へ出て迎へるといふ答へが折々はあり、九州と奧州のごく端々の方では、盆の市に出て精靈を迎へ申すといふものもある。それよりももつと數多く方々で聞くことは、盆花採りと稱して野山に出て、桔梗や女郎花その他の定まつた野花を折り歸り、それを魂棚に飾ること、是は歳棚の爲のお松迎へと同じことで、この植物に付いて神靈が家に迎へ入れられるのだと、私たちは前々から解して居るのだが、一般には是を佛法の供花も同じに、たゞ缺くべからざるこの日の祭具といふやうにしか見て居らぬ人が多い。詳しく之に伴なふ作法や約束を比べて見たら、さうでないことはやがて判るのだけれども、それには又大分の辯證を費さなければならぬ。
 それよりもやゝ顯著なのは、盆草刈り又は盆路作りといつて、この精靈迎へに先だち、普通は七月七日の日に、草を刈り路をきれいに掃き淨…

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