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![]() にがてとみみたぶのあな |
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作品ID | 58772 |
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著者 | 柳田 国男 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「定本柳田國男集 第十五巻」 筑摩書房 1963(昭和38)年6月25日 |
初出 | 「民間傳承 八卷七號」1942(昭和17)年11月 |
入力者 | フクポー |
校正者 | 津村田悟 |
公開 / 更新 | 2024-12-14 / 2024-12-11 |
長さの目安 | 約 7 ページ(500字/頁で計算) |
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この現象は今ちやうど消えかゝつて居る状勢と察せられるから、まだ年よりたちに話してもらへるうちに、もう少し資料を集めて置きたい。前囘に報告した島根縣邑智郡の例の他に、鹿足郡の方には又斯ういふ話もある。田植に苗を束ねた藁、即ちナヘデ・ナウバ等といふものを、非常に尊重して粗末な取扱ひをせぬのは、全國一般の風習と謂つてもよく、たとへば其束の輪になつたまゝのまん中へ植ゑた稻は、成長してから大きな災ひをするなどといふ言ひ傳へは、どこにでも有つた樣だが、この地方でも田植のとき、後退りをしつゝ誤つてこの苗束を泥の中へ踏み込んだときは、急いでニガテ・ニガテ・ニガテと三べん唱へた。斯うして置けば障りは無いが、もしも忘れて其まゝに過ぎると、必ず足痛を起すものと信じられて居た(郷土研究二卷八號)。多分は苦手の人ならば其害を受ける虞れが無いといふ説があつた爲だらうと思ふが、邑智郡の方ではもうさういふことを言はぬさうである。
播州の赤穗郡などでは、苦手は呪力のある手で、腹痛を撫でると治り、又魚を捕るにも獲物が得やすいと謂つて居たさうだが(高田十郎氏記録)、一方に又石見のやうな、受身の方の力もあつたものかどうかはまだ知られて居ない。三河の豐川流域でいつて居るニガ手も特別の素質で、手の筋又は手の形でよくわかるといふ。是には種類があつて、蛇の苦手といふのは捕へると蛇がおとなしく、何の害をもすることが出來なくなる手だといふが(三州横山話)、其他にはまだどういふ特徴があつたものか、是ももう明らかで無い。恐らく蝮捕りのやうな冒險でもしないと、この能力があまり目に立たず、自然に是ばかりが有名になつたものであらう。信州松本地方のにが手などは、もう蛇取り以外には應用が無いやうなことを謂つて居る。さうして苦手の人を見ると、蛇が動けなくなり自由に捕られるといひ、その苦手の人といふのは、手の指が總まむし指だから誰にもわかるといふことは(郷土研究四卷八號)、東京附近でも聽くことであるが、多分元はたゞ普通の蛇がつかまるといふだけで無く、蝮を押へても蝮が咬まないとまで、信じられて居たものと思ふ。
同じ縣の上伊那郡などでは、ナマスと謂つて、ちやうど蛇のにが手と同じく、地蜂に對して大きな呪力をもつて居る人がある。素手で蜂の巣をつかんで、ブンブンといふ蜂に構はずに掠奪して來る。斯ういふ人は蜂に螫されず、たまたまさゝれてもちつとも腫れ上がらぬといふことである(蕗原二卷二號)。ナマスは生巣と書いて居るが、あてにならぬ宛て字であつて、或はその人の手又は他の部分の、特質を意味するものかとも思ふ。是も島根縣の温泉津町に、以前ハミヅメと稱して蝮を捕るに巧みなる老人が居た。常は日雇などで生計を立てゝ居たバク足即ち象皮病にかゝつた男であつたといふことで、ハミヅメは單に蝮を捕る力のある爪といふだけで、別に特殊の外形を具へて居たのでは…