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広島へ煙草買ひに
ひろしまへたばこかいに |
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作品ID | 58776 |
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著者 | 柳田 国男 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「定本柳田國男集 第十五巻」 筑摩書房 1963(昭和38)年6月25日 |
初出 | 「民間傳承 二卷七號」1937(昭和12)年3月 |
入力者 | フクポー |
校正者 | 津村田悟 |
公開 / 更新 | 2024-09-26 / 2024-09-23 |
長さの目安 | 約 5 ページ(500字/頁で計算) |
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ヨソといふ語が今もまだ漠然と用ゐられて居るのを見ても、我々の「異郷」に名を與へる必要の、新たに起つたものであることが察せられる。
セケン(世間)は外來語であり、且つ又讀書語でもあるが、それでも必要があると我々は之を採用した。セケンシといふ語などは、前者を日常用に編入してから後に、我々の手で拵へた新語のやうに思ふ。
セケンシは辭書には皆輕蔑の感を伴なふものゝやうに解して居るが、それは又一段の變遷であらうと思ふ。少なくとも私などは、やゝ羨みの感じを以てこの一語を習ひ取つた。村の人たちの知らぬことを知つて居る者、旅行が好きで異郷の見聞に富む人といふのが、その最初の意味であつたらしい。無論斯ういふ人は農作は不得手であり、先例因習には異を唱へやすいだらうから、一方に嫌ひさげすみ警戒するやうな者も無かつたとは言へない。其上に彼等があまりにも歡迎せられた結果、近代は寧ろセケンといふ語が平凡になつて、いつ迄も其知識を元手にしようとする世間師を、侮り輕しめる心持が添ふことにもなつたのである。
ウゼケンといふ言葉が鹿兒島などにはある。世間が既に親しいものになつてしまふと、その外側に今一つ、大世間といふ層が想定せられる。さうしてやはり未知の世界、誰といふことも無く自分と對立するものを、意味するやうになつて來たのである。
ウゼケンバラはこの茫漠たる大世間に向つて、あても無く腹をかくことである。今なら厭世などといふ文字が、半分ほど是に當つて居る。憤ると否とにかゝはらず、既に斯ういふものを外界に認むれば、それだけ人生は複雜になつたので、乃ちその内側の今までの小世間が、一つの交際の社會と考へられて來る。言葉が我々の生活を導き、生活が又言葉の内容を分化させる、適切な例だと自分たちは考へて居る。
ヒロバといふ語は關東東北では、都會の意味に今日も使はれて居る。町は實際は甚だ窮屈なのだが、その取留めの無い戻つて來にくい状態が、遠くから眺める者に、廣場といふ感じを抱かせたのである。
アラミは北上川流域の低地部を、山沿ひの村々に住む者が呼んで居た語で、聽耳頭巾の鴉の話などにも見えて居る。意味はまだ明らかでないが、是もアラケだのアラトだのといふ語と共に、打開けた遠くまで見える土地のことでは無かつたらうか。
ヒロミ又はヒロシと都市繁昌の地を謂つて居るのも、寧ろそこまで行く途中の、自由で且つたよりない主觀が元になつて居るらしいことは、九州南部のウゼケンなどと、同じであつたやうに私には思はれる。
ヒロシマは會津檜枝岐などの狩詞で、人里のことであつた樣に、笹村君は報告して居る(旅と傳説九ノ六)。谷の山小屋から見れば何處だつて廣からうが、なほ靜かな落付いた小さな群の空氣と懸離れた境涯だから、さう謂つて差別を立てやすかつたのであらう。しかし山の中としては可なり珍しい語である。
シマは狹いといふ…