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霊出現の地
れいしゅつげんのち
作品ID58780
著者柳田 国男
文字遣い旧字旧仮名
底本 「定本柳田國男集 第十五巻」 筑摩書房
1963(昭和38)年6月25日
初出「民間傳承五卷七號」1940(昭和15)年4月
入力者フクポー
校正者津村田悟
公開 / 更新2024-06-20 / 2024-06-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 諏訪郡塚原部落の兩墓制現況(民間傳承五ノ五)は誠に親切な好い報告だが、その中で唯一箇所、祭り墓をタッショウと謂ひ助生と書いて居るのは、「塔所であることは説明する迄も無い」とある點だけが、少々不用意な斷定かと思ふ。現に私などは全くちがつた想像をして居るのである。もう一度是非とも問題にしてもらひたい。
 タッショウといふ名稱の分布は可なり弘く、殊に中部地方には多い。大體に古い墓場のやうにも考へられるが果して人を埋めてないか否かも、まだ確かめることが出來ない。下伊那北設樂の二郡二縣境の山村では、正月ニュウ木を削る際に、別に是と似た形の木片を數多くこしらへて、それを家々の墓に持つて行つて立てる。此木をタッシャ木と呼んで居ることは、曾て早川君が「民族」に報告した。其タッシャは墓場のことで、それも塚原のタッショウと同じ語らしいのは、遠州濱名郡で盆の十四日の墓の前の松焚きをタッショウダキ、同榛原郡で同じく十五日の親類の佛參りをオタッショ參り又は唯オタッショともいふのから察せられる。同じ語は大井川以東の駿河志太郡にもあり、伊豆賀茂郡でも十三日の墓參りをタッチョウマイリと謂つて居る(内田君方言集)。榛原郡誌には家々の盆棚を拜みに行くことでは無く、十四日の墓參りがオタッショ參りだとあるが多分兩方ともさう謂ふことになつて居るのであらう。濱名郡の新居町などでは、墓地をタッチュウバといふさうである。
 しかしすべての墓地を一樣にさう謂ふのではなくて、其中の或特殊のものに限つたのかと思はれるふしがあるから、なほよく尋ねて見なければならない。小縣郡長村の郷土資料には、昔貴人の刀を埋めて塚としたといふ處に、枝四方に垂れた老松があつて其名を笠松、一名刀の松ともオタッチョウの松とも謂ふとある。前に枝垂櫻の問題でも説いたやうに(信州隨筆)、枝の四方に垂れた樹があるといふことは、注意すべきだと私は思つて居る。少なくとも是には石塔は無いのである。
 甲州では中巨摩郡誌に、村々に此名の地字が多かつたやうに記憶するが、本が手元に無いので引用することが出來ない。淡路では南端の野島村でも墓が兩所で、一方のいけ墓即ち埋葬地をステバカ、他方の引墓をタチヲといふと、たしか平山君が報告したが、是などは全く塚原と同じである。
 壹岐島の七タッチョに就ては、折口氏も「民俗學」二ノ二で詳しく見聞を録し、又山口君も方言集の中に掲げて居られる。七とはいふが部落毎に必ずといふほど一つづゝあつて、村では敬つてオタッチョウと謂つて居る。場所は小さな丘又は森で、石の祠が普通には立つて居る。館所又は塔頭だらうとの説もあるさうだが、注意しなければならぬことは、爰に盆と正月との念佛供養があり、又は祭禮の日に狂言手踊の奉納があつた。さうして村共同の拜所であつて、或家には專屬して居ないのである。對馬の島にもタッチョウモトといふ地名のある處が…

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