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芥川賞の人々
あくたがわしょうのひとびと
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 佐藤春夫全集 第25巻」 臨川書店
2000(平成12)年6月10日
初出「現代日本文学全集 第87巻月報86」筑摩書房、1958(昭和33)年3月25日
入力者えんどう豆
校正者夏生ぐみ
公開 / 更新2018-01-16 / 2017-12-26
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 僕は第一回以来の芥川賞詮考委員である。あれはいつからであつたらうか。何しろ二十年もむかしの話で、おほかたは忘れてしまつてゐる。
 さすがに第一回だけに、石川達三の当選の時のことだけは、おぼろげながらにも記憶にある。
 会場は両国へんのどこかに、大川を見ながら詮考が進められたのは初夏か晩夏であつたのであらう。菊池と久米とが積極的に意見を交換してゐるほかは、誰もあまり活※[#「發+りっとう」、U+3507、288-下-1]な発言はなかつたやうに思ふ。だから第一回の決定は菊池と久米とでしたやうなものであつた。特に菊池は石川の作品に対してだいぶん乗気であつたのを忘れない。僕は候補作品も全部は目をとほしてゐない不熱心であつたかも知れない。
 正直なところ、僕ははじめ文芸春秋を文学的な結社といふよりも党を結んで文壇的ヘゲモニーを把握しようための文壇政治的団結のやうに思へて反感を持つてゐたのが、先方にも反映して互に相容れないものがあつて芥川賞の設定にも素直にばかりは考へてゐなかつた。
 しかし亡友を紀念するために文学賞を設けこれによつて新人を発見する利他のついでに自分も少々利益を得たいと考へることは決して非難すべきことではないと思つて委員の委嘱を受けた時には、生きてゐる間からその意嚮を見せてゐた芥川が死して僕と菊池との間を結んだやうな気がして委員となつたものである。さうしてこの任に当る以上は、文壇的結社のためではなく、文学のために新人の発見に微力を尽さうと自ら誓ふところが無いではなかつた。それ故会合へも病気でただ一度欠席しただけである。
 だから第一回にあまり熱心でなかつたといふのも他意があつたわけではなく、ただ事に慣れなかつたためであつた。
 だから、僕は回を重ねて慣れるに従ひ、だんだん熱心な委員になつたつもりである。候補作品は、いつもすつかり心ゆくまで読破して、はつきり評価して置く。僕は割合ひに融通の利く頭で、いろいろな作者がそれぞれに趣向を凝らし、さまざまに意図したところを汲み取る能力があるつもりである。或は自分に固守するほどの信念がないのかも知れない。
 僕は自分で支持する作品のある場合は、詮考の場に臨むのが楽しみなほどである。僕が自分のところへ出入する作家に対して、まるで卒業生の就職口を世話するやうに芥川賞を推せんするなどといふのは、僕を誣ひる事甚しいとともに、他の委員を侮辱するものであらう。僕はさういふゴシップは軽べつして自分の所信は今後も貫くつもりである。
 僕はなまけ者のうへ時間も読書力もなくて、平素不本意にも新進作家の作品を十分に読む機会がないから、年に二回、新進作家の目星しい作品をまとめて読む必要のある芥川賞の詮考は僕にとつていい勉強になつてゐる。委員中の古狸になつて他の委員から邪魔者あつかひされてゐるやうな気のする場合にも、菊池芥川二人の亡友に対す…

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