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素人図書館人の手記
しろうととしょかんじんのしゅき
作品ID58808
著者金森 徳次郎
文字遣い旧字新仮名
底本 「文藝春秋 昭和二十五年九月號」 文藝春秋新社
1950(昭和25)年9月1日
初出「文藝春秋 昭和二十五年九月號」1950(昭和25)年9月1日
入力者sogo
校正者The Creative CAT
公開 / 更新2019-03-17 / 2019-02-27
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 生れるときに自分の將來の仕事を考えるものは無いが、それでも若いときから一生の目的を考えるものだ。ところが私は若いときはもとよりのこと、中年になつても老年になつても夢にも思わなかつた圖書館人と言うものに六十歳を超えてからなつた。業平朝臣の言いぐさではないが「忘れては夢かとぞ思う思いきや」であり雪は踏みわけないが毎日圖書館を見て喜び眺めているのだ。
 私の管理している圖書館は舊赤坂離宮である。玄關を入つて自分の室まで行く間はやゝ長い廊下を通るのだ。一人當り疊二疊に足らぬ賤が伏屋を立ち出でゝ毎日出勤すると、この廊下を歩く數分間に一種の心のゆとりが起る、その數分間が圖書館について自責心の最も起るときである。また毎日退廳のときにもこの廊下を通るがその時一日の經過を顧みてホッと息をつきつゝやはり一種の自責心が起るのだ。つまり直接仕事に心を占領されていない時にはこのやるせない惱が生ずるのだ。素人のくせによくも平氣でやつて居れるな、そしておまえはこの圖書館をどんな風に發展させて行くのか、第一圖書館とは何であるのかを知つているか等々。
圖書なき圖書館
 圖書館が何であるかぐらいは素人の私でも知つている。その方面の教科書の第一頁に明記してあるのだ。しかしその實、圖書館の性格は廣大無邊であつて捕捉すること容易でない。しかし少くとも圖書を集めて置いて人に讀ませることは最少限度の要件だろうと誰でも思う。大きい意味ではたしかにその通りだ。しかし具體的な一つの設備として考えると書物の無い圖書館も考えられぬことは無いのだ。醫療の道具を持たない臨床醫師があつてもよいのだ。圖書館を訪ねて「お宅の藏書は何十萬册ですか」と質問するのが常套手段だが、一册もありませんと答える圖書館があつてもよさそうだ。勿論全くの無手勝流ではこまるが、例えば日本全國、又は世界全體の圖書の題目とその所在が即時にわかるような、カードばかりの圖書館は考えられぬだろうか。チベットの御經が知りたいがどこにあるでしよう。マルコポーロの東方見聞録の最古版が讀みたいが、どこにありますか。膝栗毛で有名な彌次さん喜多さんの住んで居た長屋の地圖はどこにありますか。こんな質問がすぐに滿足させられ得るような圖書館があつてよいであろう。よいであろうではない、日本では一番必要なんだ。日本は不思議な國で昔から隨分世界の書物が集まつている。思いもつかぬ世界の珍本もあるのだ、また特殊な調査價値のものもあるのだ。しかしそれが目的に應じて利用出來ぬのだ、分散所藏せられて、これを求むることは枯草の中で縫い針を探すよりも厄介なのだ。所謂物知りが時々斷片的なものを目つけて「あつた、有つた」と喜び誇るが、綜合カタログが出來て居れば、問題は大部分解決されるのだ。アメリカには千五百萬種以上の書物があるらしい。勿論正當な利用價値のないものは除かれている。そしてその書物が…

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