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露都雑記
ろとざっき
作品ID58819
著者二葉亭 四迷
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 1 政治小説・坪内逍遙・二葉亭四迷集」 筑摩書房
1971(昭和46)年2月5日
入力者高崎隼
校正者hitsuji
公開 / 更新2020-04-04 / 2020-03-28
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 ネミローウ※[#小書き片仮名ヰ、387-上-3]チ、ダンチェンコ氏が日本のさる田舎の停車場で、何心なく汽車の窓から首を出すと、そこの柵外に遊んで居た洟垂らしの頑童共が、思ひがけず異人馬鹿と手を拍つて囃したので、氏は驚いて首を引込めた事がある。それからはこの「異人馬鹿」が耳に附いて、京都の秀麗な山河に対しても、宮島の美景を望んでも、之を想ひ出すと、一種の苦い感じが夕立雲の空に拡がる如く急に心頭に掩ひかぶさつて、折角の感興も之が為に台なしにされたとかで、氏は直に之を日本人の排外思想と見做し、日本に可惜疵の随一に算へてゐられる。
 その事はルースコエ、スローウォに連載された氏の紀行にも出たので、当地の各新聞は珍らしい事にして皆其の一節を転載する、それで一時一寸之が評判になつて、逢ふ人が皆其の事を言ひ出すので、僕はお蔭でうるさい想をさせられた。
 ダンチェンコ氏は田舎の停車場で子供に調戯れたのだが、此の頃のノーウォエ、ウレーミヤを見ると、去年の天長節に東京の真中で、しかも大学生に異人馬鹿といはれた露西亜人がある。それはこの新聞の通信員で E. I. J. といふ男である、余り不思議の話だから、念の為其通信の一節を左に抄訳する。
群集に誘はれて余等(独逸人某と此の通信員とだ)も前へと進んだ、行けば行く程人気はたつみ上つて、其処にも此処にも万歳の声が聞え、狼烟がしつきりなく上る、と数名の大学生が人浪を押分けつゝ余等の側を通りぬけんとして、無作法に余等の面を眺めて、「異人馬鹿!」と叫んだ、其処らの者一同之に声を合せて動揺めく。
 明治四十一年の大学生が外国人を呼んで異人といつたとは、古今の珍聞といふべしだ。が、珍聞はこればかりでなく、此の通信員が旗行列か何かの跡について行くと、皆「万歳(御名)!」と叫んだといふ、グード、モーニング、ヂヤ、リットルジョンの格だが、ウラー、ニコライとは此方でも聞かぬ事で、これも古今の珍聞だ。
 概して此の通信は珍聞に富んでゐる、いや、珍聞だらけでうツかり足を踏込むと珍聞を踏ンづける程だが、其の中で珍の珍たるものは、大方此の旗行列は戦勝の名誉を表彰する神社などへ行く事だらうと思つて跡について行くと、吉原といふ処へ来たとある、文章の続柄さうより外には取れぬ、で、吉原の景気を叙するあたりにも大分珍聞もあるが、それは省略して、此通信員連の独逸人とトある格子先に立つた……とは書いてないが、立つたに違ひない。すると妓夫ではなくて此の家の亭主が側へ来て、文明な露国ではとても聞かれぬ尾陋千万な事を野蛮な日本人だから平気で陳べて遊興を勧める。それを通弁に取次がせて聴いてゐると、恰も此の時丁度その格子先の往来で大道演説が始まつた、弁士が入替り立替り愛国心を鼓舞したので、万歳と異人馬鹿の叫び声は次第に烈しくなり、遂に一同ちぐはぐの声で歌ひ出すのを聴くと、

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