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江戸前の釣り
えどまえのつり
作品ID58834
著者三遊亭 金馬
文字遣い新字新仮名
底本 「江戸前の釣り」 中央公論新社
2013(平成25)年5月25日
入力者入江幹夫
校正者栗田美恵子
公開 / 更新2020-10-25 / 2020-09-28
長さの目安約 218 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

はじめに



 魚釣りと人生は実によく似かよったところがある。女は男を釣り、男は女を釣ろうと思って釣られている。ぼくの釣りも、魚に釣られて帰ることが多い。しかし釣りは、忍耐を教え、辛抱強くさせてくれる。釣りの失敗は、つまり人生の失敗ともいえる。
 五十年間の釣りを振り返ってみると、失敗だらけで、何も残っていない。落語も釣りも、未完成のまま、人生の終点が近くなった。
 それでも、これからも落語の研究ができ、古典の奥行きが深まり新作がやれ、また釣りのほうも、よい釣り場をみつけ、珍しい釣りの仕かけを考え、大釣りをすることもあるような気持ちがする。といっても、漁師の釣りではないから、一大漁業会社を始めようという野心はない。はなし家の釣りだから、どこまでも遊技的である。
 その実、落語も、客に受けようという欲が出るので、いつまでもうまくならない。釣りも、一尾でも余計に釣ろうと思うので、未だに悟りきれずにいる。
 近ごろ、レジャーブームという言葉があるが、自分一人楽しんで家族を困らせるのは、娯楽の本質でない。月に一回ぐらいは、家族慰安デーとしたい。子供の好きな映画にも連れ出されるし、ぼくのほうも家内、子供を釣りに連れて行こうと思う。
 出版社から、どこまでも初心者が読んで楽しく、釣った魚の料理まで書けといわれたが、何度もいうように、ぼくは釣りもへた、料理もうまくない。ただし、好きということについては、他人さまの二倍も三倍も好きだから、けっこう自分では楽しんでいる。
 毎月、『釣りから料理食べるまで』というテレビの番組を引き受けてやっていた。それを、順序もなく一杯飲みながら、駄ジャレまじりにしゃべったことや、子供時分からの釣りの思い出などを書いたのだが、重曹、調味料代わりに川柳、小ばなしを入れ、いわば半端布を切り集めて縫い合わせた漁師の仕事着のようなものである。しょせん、小原女染めほどの風流気は出ない。それに、時代のずれもある。
 ぼくなど、釣りしたくをしておいて雨に降られ、舌うちをするようなときに、釣り場の地図を見ている。読者のみなさんも、きっとそういうことがあると思うが、そんなときに地図の代わりにこの本を読んでみてください。きっと、ウップンを晴らして笑っていただけると思います。今後とも、ご教授の水先案内をお願い申します。
昭和三十七年 盛夏
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[#ページの左右中央]



釣って食べて また釣って〈釣り十二ヵ月〉


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指より細いワカサギ〈一月〉


 毎年一月七日ごろになると、富士の山中湖、伊香保の榛名湖から、「氷結しました。早くおいでください」と、督促状がくる。
 ところが、われわれはなし家は、正月が一年中の書き入れどきで、お客様からいただいた木戸銭を税務署へ素通りさせるのに、目の色を変えて騒いでいる。
 初席の十日間は、生つばを飲…

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