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三四郎
さんしろう
作品ID58842
著者夏目 漱石
文字遣い新字旧仮名
底本 「定本 漱石全集 第五巻」 岩波書店
2017(平成29)年4月7日
初出「東京朝日新聞」1908(明治41)年9月1日~1908(明治41)年12月29日
入力者砂場清隆
校正者木下聡
公開 / 更新2022-12-09 / 2022-11-28
長さの目安約 326 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一の一

 うと/\として眼が覚めると女は何時の間にか、隣りの爺さんと話を始めてゐる。此爺さんは慥かに前の前の駅から乗つた田舎者である。発車間際に頓狂な声を出して、馳け込んで来て、いきなり肌を抜いだと思つたら脊中に御灸の痕が一杯あつたので、三四郎の記憶に残つてゐる。爺さんが汗を拭いて、肌を入れて、女の隣りに腰を懸けた迄よく注意して見てゐた位である。
 女とは京都からの相乗である。乗つた時から三四郎の眼に着いた。第一色が黒い。三四郎は九州から山陽線に移つて、段[#挿絵]京大坂へ近付いてくるうちに、女の色が次第に白くなるので何時の間にか故郷を遠退く様な憐れを感じてゐた。それで此女が車室に這入つて来た時は、何となく異性の味方を得た心持がした。此女の色は実際九州色であつた。
 三輪田の御光さんと同じ色である。国を立つ間際迄は、御光さんは、うるさい女であつた。傍を離れるのが大いに難有かつた。けれども、斯うして見ると、御光さんの様なのも決して悪くはない。
 唯顔立から云ふと、此女の方が余程上等である。口に締りがある。眼が判明してゐる。額が御光さんの様にだゞつ広くない。何となく好い心持に出来上つてゐる。それで三四郎は五分に一度位は眼を上げて女の方を見てゐた。時々は女と自分の眼が行き中る事もあつた。爺さんが女の隣りへ腰を掛けた時などは、尤も注意して、出来る丈長い間、女の様子を見てゐた。其時女はにこりと笑つて、さあ御掛けと云つて爺さんに席を譲つてゐた。夫からしばらくして、三四郎は眠くなつて寐て仕舞つたのである。
 其寐てゐる間に女と爺さんは懇意になつて話を始めたものと見える。眼を開けた三四郎は黙つて二人の話を聞いて居た。女はこんな事を云ふ。――
 小供の玩具は矢っ張り広島より京都の方が安くつて善いものがある。京都で一寸用があつて下りた序に、蛸薬師の傍で玩具を買つて来た。久し振で国へ帰つて小供に逢ふのは嬉しい。然し夫の仕送りが途切れて、仕方なしに親の里へ帰るのだから心配だ。夫は呉に居て長らく海軍の職工をしてゐたが戦争中は旅順の方に行つてゐた。戦争が済んでから一旦帰つて来た。間もなくあつちの方が金が儲かると云つて、又大連へ出稼ぎに行つた。始めのうちは音信もあり、月々のものも几帳面と送つて来たから好かつたが、此半歳許前から手紙も金も丸で来なくなつて仕舞つた。不実な性質ではないから、大丈夫だけれども、何時迄も遊んで食てゐる訳には行かないので、安否のわかる迄は仕方がないから、里へ帰つて待てゐる積だ。
 爺さんは蛸薬師も知らず、玩具にも興味がないと見えて、始めのうちは只はい/\と返事丈してゐたが、旅順以後急に同情を催ふして、それは大いに気の毒だと云ひ出した。自分の子も戦争中兵隊にとられて、とう/\彼地で死んで仕舞つた。一体戦争は何の為にするものだか解らない。後で景気でも好くなればだが、大…

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