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芥川竜之介を憶ふ
あくたがわりゅうのすけをおもう |
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作品ID | 58851 |
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著者 | 佐藤 春夫 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「定本 佐藤春夫全集 第20巻」 臨川書店 1999(平成11)年1月10日 |
初出 | 「改造 第十卷第七號」1928(昭和3)年7月1日 |
入力者 | 夏生ぐみ |
校正者 | 津村田悟 |
公開 / 更新 | 2018-07-24 / 2018-06-27 |
長さの目安 | 約 58 ページ(500字/頁で計算) |
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一
自分と芥川との交友関係は、江口渙を中間にして始つた。芥川は将に流行児として文壇の檜舞台へ上らうとしてゐる前後であつた。自分はその五六年以前から二三の同人雑誌などに今顧みるときまりが悪いやうな幾つかの詩歌や散文の習作などを活字にして貰つた事があつて芥川の方でも自分の名前位は知つてゐたらしい。自分はその頃文学上の自信をなくし方向を見失つてゐた。さうして斯ういふ状態の常として自分に対しても元より世上一切のことを白眼で見る悪い癖が付いて了つてゐた。芥川の文学は自分に面白くないことはなかつた。自分は彼の「新思潮」にのつけた作品を二三読んで、此処に芸術上の血族が一人ゐることを発見して喜んだが、不満もなか/\無いではなかつた。日本の文壇に取つては非常に目新しい作風ではあつたが、アナトール・フランスなどを少しばかり見たり聞いたりしたことのある自分はそれ程驚かなかつた。自分は芥川の作品を全部読んでそれを批評すると同時に、自分の抱いてゐる文学論を披歴して見たいといふ気持ちがあつた。このことを当時の友人江口に話すと江口は彼が持つてゐた新思潮の一揃ひを自分に貸してくれた。自分は一読して自分の意見の一端を江口に述べた。江口はこの以前から芥川と交友があつたから自分のことを彼に伝へたものと見える。自分は或る日芥川から手紙を貰つた。手紙はたしか、江口方気付で、それがもう一度江口の手紙に巻き込まれて江口の新しい封筒で自分の手に届けられた。芥川からのその手紙は彼が一生使ひ通した松屋の原稿用紙へ書かれて一千字位はあつたと思ふ。この手紙を自分は保存してあるのだが、北海道に居る弟が持つて行つて了つてそれが蔵ひなくしでもしたのか、先日から催促をしてあるのだけれども未だに手元へ届かないのは残念である。全文を掲げることは出来ないが、横須賀へ行く汽車の中で書いたといふ文句があつたやうに思ふ。さうして、手紙の大意は「江口から君が僕のことを批評する意志があるのを知つたが、自分の芸術は未だ未熟なものだから今しばらく批評して貰ひ度くない、」と云ふことや、また「君が以前に書いた短篇『円光』などは僕にかう云ふ小説ならば自分にも出来さうだと云ふ暗示を与へたものだ、」と云ふことも三行ばかりあつたと憶えてゐる。また、「君のところに犬さへゐなければこちらから君を訪問したいとも思つてゐるが、」と云つて自分に遊びに来ることを歓迎してくれてゐた。――これは或は第二の手紙であつたかも知れない。第二の手紙と云ふのは自分が彼の第一の手紙に対して書いた返事に向つてまた折り返してくれたものであるが、之も北海道の弟が持つて行つて了つて今手元にない。自分の方から出した手紙はどんなことを書いたか憶えがない。大正六年の一月か二月であつたと記憶する。
彼が大学を卒業したのはその前年で卒業論文は「ウヰリアム・モリス研究」であつたことは周知のこと…