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歌詞とその曲
かしとそのきょく |
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作品ID | 58853 |
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著者 | 信時 潔 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「信時潔音楽随想集 バッハに非ず」 叢書ビブリオムジカ、アルテスパブリッシング 2012(平成24)年12月5日 |
初出 | 「心 17巻1号」1964(昭和39)年1月号 |
入力者 | The Creative CAT |
校正者 | POKEPEEK2011 |
公開 / 更新 | 2019-12-29 / 2019-11-24 |
長さの目安 | 約 14 ページ(500字/頁で計算) |
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うたという言葉が示すように、詩と音楽は上古以来今日までさまざまに結合され、ことに我国の音楽では声楽が断然器楽に優先し、楽器を主体とする曲や、リズムを強調する舞踊音楽にまで、歌のついているのが多い。この傾向は洋楽が入ってからも依然続いており、我国の音楽の進路に重要な意味を持っている。今日ではちょっとした歌曲でも作詞と作曲は別人であり、通例詩が先にできていて、作曲者がそれを歌詞として作曲するのである、近頃は初めから作曲を予想した歌詞もあるが、それはむしろ例外で、通例詩作の際それが作曲される場合のことはあまり念頭におかず、ただ読む詩、あるいはせいぜい朗誦するものとして作られ、作曲者はそれらのうちから撰んで、音楽と言う別の約束を持つものを結合し、詩情にそいながら新しい別境を作るのである。その結果が詩人を喜ばせることもあり、迷惑がらせることもあろう。作曲者が極めて優れていても、そのやり方が詩人の好みに合わないとか、作曲者の気持ちが出すぎてうるさがられることもある。ベートーベンはゲーテの詩に作曲したが、ゲーテはモツアルトのような音楽が好きで、ベートーベンの薬の強いやり方より、むしろ当時の二流音楽家の素直な朗吟に近い曲を喜んだそうである。同じ詩につけても歌曲はいろいろな姿になる。作曲者が誰でも作りたくなるような名詩には、昔から多くの一流作曲家が曲をつけているが、長い間にはその一つか二つだけが生き残るのである。一つの歌詞にいかに色々な曲がつけ得られるかの極端な例をあげれば、戦時「愛国行進曲」の曲を公募した時、小学生から専門家まで数万の曲が集まり、最後に残ったのがあの瀬戸口楽長の曲であった。
今では小学生が誰でも詩を作り、中々面白いものがある。作曲も学習指導要領に要求され、図画や手工と同様創作教育として一般化されてきた。しかしそんな場合にもまず取り上げられるのは身近なことばにふしをつけることである。ラジオの番組にも、与えられた歌詞を即興でうたう遊びがある。ナポリのうたまつりは大人の大衆的新作競技である。日本で国民の歌とか校歌社歌等が作られる場合、通例まず歌詞が決められ、その曲は一人の専門家に委嘱するか、公募して審査員が選ぶ。たまには先きに適当なふしを作って、それに合わせて歌詞をつけた方がよかろうという説も出る。それも歌と曲がしっくり合って誰にもうたい易い曲を得ることの難しさを強く感じてのことであろう。
あからさまにいえば一通りの修行をすれば、どんな歌詞にも一応まとまりのあるふしはつけられる。ほとんど話し言葉そのままの文句でもなんとかなる。商業用宣伝歌の多くもその例で、子供でもすぐ真似ができるほどうたいやすくできている。しかしそれらは大概通作式で、一つの歌詞にただ一つのふしをつけるいわば一節だけの歌である。一節だけなら歌詞にぴったりした曲は得易い。ところが一つのふしで何節…