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望ましい音楽
のぞましいおんがく
著者信時 潔
文字遣い新字新仮名
底本 「信時潔音楽随想集 バッハに非ず」 叢書ビブリオムジカ、アルテスパブリッシング
2012(平成24)年12月5日
初出「心 18巻3号」1965(昭和40)年3月号
入力者The Creative CAT
校正者POKEPEEK2011
公開 / 更新2019-08-01 / 2019-07-30
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 先頃テレビでセロの達人カザルスの対話をきいた。大きなパイプタバコをくゆらせながら翁は音楽を語り、また問われるままに政治についても自己の立場を説いた。彼は言う、自分は単純な人間で何事にも自然を尚ぶと。彼はバッハを初めとする古典音楽を愛するとともに、故郷カタロニアの歌調を自ら鳥の詩と称して演奏曲目に忘れない、彼が現代の十二音音楽を斥けたり、故国の独裁政権に抵抗を続けるのも、それが人性の自然に反くからであると言い、人は皆己れを人類という大木の一枚の葉と思うべきだと語っている。また昨年物故した作曲家ヒンデミートはその晩年の講演で、十二音作法その他の影響による音楽の現情を河川の工業汚染にたとえ、飲めない水、魚の棲めない水の如く、音楽は本来の生命を失う危機に面していると述べている。
 音楽はこれでよいのかという声はすでに久しく、トルストイの芸術論におけるベートーベン、ワグネルをも否定して、音楽をほとんど民謡とマーチに限るような厳酷な批判から、その商業化、機械化、卑俗化、あるいは過度の専門化による人間性からの逸脱を憂うる声は絶えない。著名な作曲家で音楽の将来に希望を失っているものさえある。我国でも古今東西のあらゆる音楽の雑居氾濫する現状に対して、色々な立場から音楽はこの先どうなるか、このままでよいのか、音楽はそれなりにもっと社会的使命を自覚すべきではないか、というような疑問や感慨もしばしばきかれるのである。初めに挙げたカザルスやヒンデミートの警告も、世界の作曲界の現状が音楽の本質を逸した過度の専門化、人為的複雑化によって、多くの人達に親しみ難いものとなりつつあることへの反省の声である。
 かつて音楽史上最高の花を咲かせた欧州古典音楽も、本来は素朴な民謡や民舞を源泉として発達したものであるが、今では万人の心に訴える自然な生命力を失いつつあるのである。バルトークが東欧の民楽に創作感興の母胎を見出したり、ヒンデミートがバッハ以前の音楽やまるで発達系統のちがう我国の能楽にまで郷愁的親近感を示しているのも、音楽の素朴な生命力の回復を願ってのことと思われる。
 我国でも最近、民謡民舞を再認識する運動が盛んになり、創作曲に対しても国民性、民族性あるいは東洋性が改めて要求されている。それは充分意義のあることであるが、一面、時代に逆らう生活感情への停滞偏執の危険を蔵しており、民族主義の行き過ぎは往々音楽の普遍性をさまたげ、その国際性を弱めることもあるのを忘れてはならない。これまで音楽は色々な姿で民族性と個人性を生かしながら、感情の国際的交流に一役を果してきた。そういう特質はますます護持すべきである。現に世界大戦の最も熾烈な時でも、バッハやモーツァルトの音楽はあらゆる国境を越えて人々の心のオアシスとなった。そういう音楽の持つパスポートの刻印は、深い人間愛と平和への祈願であり、第九交響曲合唱…

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