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峠の手毬唄
とうげのてまりうた
作品ID58867
著者山本 周五郎
文字遣い新字新仮名
底本 「春いくたび」 角川文庫、角川書店
2008(平成20)年12月25日
初出「少女倶楽部増刊号」大日本雄辯會講談社、1939(昭和14)年2月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者noriko saito
公開 / 更新2022-12-08 / 2022-11-26
長さの目安約 25 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一の一

やぐら峠は七曲り
 谷間七つは底知れず
峰の茶屋まで霧がまく……。
 うっとりするような美しい声がどこからかきこえてくる。
 夜はとうにあけているが、両方から切立った峰のせまっているこの山峡は、まだかすかに朝の光が動きはじめたばかりで、底知れぬ谷間から湧きあがる乳色の濃い霧は、断崖の肌を濡らし、たかい檜の葉や落葉松の小枝に珠をつらね、渦巻き、ただよいつつ峠路の上まではいのぼっては流れて行く……。ここは出羽の国最上の郡から、牡鹿の郡へぬける裏山道のうち、もっとも嶮しいといわれるやぐら峠である。酢川岳の山々が北に走っていくつかにわかれ、その谿谷が深く切込んだところに雄物川の上流が白い飛沫をあげている。峠道はその谿流にそって、断崖の上を曲り曲り南北に走っているのだ。
お馬が七疋駕籠七丁
 あれは姫さまお国入り
七峰のこらず晴れました……。
 霧の中を唄声が近づいて来たと思うと、やがて院内のほうから、旅人を乗せた馬の口を取って、十四、五になる馬子が登って来た、――五郎吉馬子と呼ばれて、この裏山道では名物のようにいわれている少年である。
「これこれ、馬子さん」
 馬上の旅人は唄のくぎりをまって、
「いま唄ったのは新庄あたりの武家屋敷で手毬唄によく聞いたものだが、この辺では馬子唄に唄うのか」
 と話しかけた。五郎吉ははしこそうな眼をふりむけながら、
「おっしゃるとおりこれは手毬唄ですよお客さん、峰の茶店のおゆきさんがいつも唄っているんで、おいらもいつか覚えてしまったんだよ」
「そうだろう、どうも馬子唄にしてはすこしへんだと思ったよ。――けれど、それにしてもこんな山奥の峠茶屋で、武家屋敷の手毬唄を聞くというのは、何かわけがありそうだな」
「そりゃあわけがあるさ」
 五郎吉はひとつうなずいていった。
「その茶店のおゆきさんの家は、もと新庄の在で古くからある大きな郷士だったんだ。旦那は伝堂久右衛門といって、新庄のお殿さまから槍を頂戴したくらい威勢のある人だったよ」
「ほう、それがどうしてまた峠茶屋などへ出るようになったのだね」
「久右衛門の旦那にはおゆきさんのほかに、その兄さんで甲太郎という跡取がいたんでさ、ところが今から五年まえ、その甲太郎さんが十八の年に酢川岳へ猪射に出たままゆくえ知れずになってしまったんです。谷川へ落ちて死んだともいうし、江戸へ上って浪人隊に加ったともいうし。……ほんとうのことは誰にもわからずじまいでしたが、旦那はそれからすっかり世の中がいやになったといって、屋敷や田地を手離したうえ、おゆきさんと二人でこの峰の峠茶屋をはじめたというわけですよ。――だが、おいらが思うには」
 と五郎吉は話をつづけた。「旦那がこの茶屋をはじめたのは、ゆくえ知れずになった甲太郎さんをさがすためじゃないかと思うんだ。上り下りの旅人のなかにもしや甲太郎さんがいやあしない…

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