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国語学と国語教育との交渉
こくごがくとこくごきょういくとのこうしょう
副題――言語過程説の立場における――
――げんごかていせつのたちばにおける――
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「時枝誠記国語教育論集 Ⅰ」 明治図書出版
1984(昭和59)年4月
初出「国語科教育 第一集」全国大学国語教育学会、1952(昭和27)年5月28日
入力者フクポー
校正者富田晶子
公開 / 更新2018-10-27 / 2018-09-28
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

はしがき

 橋本進吉博士は、昭和十二年九月、「岩波講座国語教育」に、「国語学と国語教育」を執筆せられ、国語学と国語教育との交渉、並びに、国語学の国語教育への寄与する点を明かにせられた。(橋本進吉博士著作集第一巻「国語学概論」に転載)私は今ここで、博士の右の論文を手懸りとして、同じ主題に対する博士と私との見解の相違する点を明かにしようと思ふのである。
 橋本博士の右の論文は、その後記に、「国語教育には全く素人で、到底任に堪へないのを、編輯の方からのたつての御依頼で強ひて筆を執りました」とあり、その頃、私に対しても、この問題で迷惑してゐるといふやうなことを漏らされたことを記憶してゐるので、右の後記は、必しも単なる謙遜の辞令として記されたものでなく、博士にとつて不満足であり、国語学者としての博士の、国語教育に対する見解の全貌を知るには、甚だ不適当なものであることは、充分推察出来るのである。それにも拘はらず、右の論文を引合ひに出すのは、博士の見解が、当時の言語理論の通説を極めてよく反映したものであると考へられること、それに基く対国語教育理論が、国語教育論者に国語学の国語教育への寄与といふことについて、少からぬ疑問を抱かせるやうになつたことが考へ合はされるからである。更に、博士の言語理論とは、全く対蹠的である言語過程説においては、博士の見解とは、また別個の国語教育に対する寄与が考へられるのでそれらの点を明かにしたいと思ふのである。



 博士に従へば、国語教育は、「我が国の言語文章に習熟させて、自己の思想を正しく表現し、他人の思想を誤らず理解する能力を養はせる事を第一の大切な任務とする」(著作集第一巻三〇三頁)ものである。これに対して国語学はどんな関係をもち、どんな寄与をなすものであるかといふのに、先づ、言語文章に習熟させ、思想の表現理解の能力を養ふには、特別の方法を用ゐずとも、特に国語に関する専門的知識を有する教師を必要としない。(著作集第一巻三〇三頁)ただ、国語の有効適切な教授方法は、国語の本質と実状についての徹底した認識即ち国語学の知識を、教師が持つことによつて、はじめて可能であるとされるのである。(三〇四頁)
 しかしながら、国語教育を有効適切にするための国語学上の知識といふことについては、博士はむしろ、これを軽く見て居られるのであつて、更に国語教育において大切なことは、国語を学ぶことによつて、国語に宿つてゐる国民の思想感情を体得することであるとされてゐるのである。(三〇五頁)国語学はそこに重要な役割を果すものであるとされてゐるが、この考へは、言語を民族文化の反映と見、言語を研究することは、民族の精神形成の跡を尋ねることであるとするドイツ文献学の主張に基づくものと推察されるので、このやうな意味における国語学の国語教育への導入は、当時漸く盛んになりつつあつ…

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