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新憲法の解説
しんけんぽうのかいせつ |
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作品ID | 58904 |
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副題 | 02 序 02 じょ |
著者 | 金森 徳次郎 Ⓦ |
文字遣い | 旧字旧仮名 |
底本 |
「新憲法の解説」 内閣 1946(昭和21)年11月3日 |
初出 | 「新憲法の解説」内閣、1946(昭和21)年11月3日 |
入力者 | フクポー |
校正者 | 青空文庫 |
公開 / 更新 | 2018-05-03 / 2018-06-16 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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私は世にも珍らしい幸運者であつた。今囘の改正憲法の議會審議に當り、百餘日に亘つて、兩院の有力なる議員諸君と共に、論議を交換し、或る時は氷よりも冷かなる態度を以て法理の徹底を計り、或る時は熔鐵よりも※[#「執/れんが」、U+24360、2-4]き心意氣に乘つて運營の將來を痛論した。
斯くして日々の檢討に依り改正案の有する各面を内外表裏より事細かに考へた。そしてこれこそは日本國が遲かれ早かれ踏み行かねばならぬ大道を端的に明示するものであり、これに依つて進むことのみが日本國民に負はされた必然の運命であるとの確信を、いやが上に深めた。此の樣な立場に置かれた一身を顧みるとき、此の憲法改正に關連して前述の如く多數の識者に依り斯くも廣く斯くも強く心を開發せられたことは、世にも稀な幸運に惠まれた者と言ふの外に何の言葉があらうぞ。以上は現下の私の心境であるが、これにつけても、國民諸君が速に此の憲法の本體に親しみ、之と融合し、言はば之と一體と爲り、歴史の導く新なる段階に、全身を歡喜に震はせて、突入せられんことを希望して止まない。
所で私が思ふのは、此の改正憲法に親しむには如何にしたらばよいかの點である。一見すれば憲法は文字を以て書き現はされてゐるが、本質は國民の結晶した精神の表現である。從つて國民が精醇化された精神を以て之に對面するとき、卒讀卒解であるべき筈である。
私は斯く考へる。勿論個々の法律的解釋は、其の樣にはゆきかねるが、基本原理に付ては上述の如くであるべきこと疑ない。唯之が爲には若干の精神的な準備を要する。それは僅でよい。それさへあれば各人の清純な常識が萬事を解決する。
斯くて民主的精神に基く憲法は民主的解釋に徹底するを得て、其の歸趨を誤ること無い筈である。換言すれば改正憲法は何一つむづかしい原理を有してゐるものではない。人間を尊重し、平和と正義を正視し得る者にとつては、其の人の直感が恐らく憲法に合一する。技術的な規定に目をくらまされて憲法を親しみ易からぬものと考ふるのは大きな錯覺である。但し斯くは言ふものの憲法全體を學理的に究明し又其の技術的規定を明確にすることは專門家にとつても蓋し容易ではない。一般人が輕々しくこれを自負するとすれば弱體を露呈するの虞なしとせぬ。
今囘山浦貫一君の筆を通じて作成せられた新憲法の解説は、前述の難解な學徒的研究を平易明朗な文章の中に織り入れて、憲法の原理と應用とを一般國民に容易に呑み込み得る樣にしたものである。内容が完備してゐるか、解釋が正しいか等は主たる問題ではない、憲法普及の現下の要請に照して妥當なる書物である。
ミケランヂェロの彫刻は「語言はぬ」事のみが缺點とせられた。此の憲法に在つては、國民の※[#「執/れんが」、U+24360、4-8]情と努力とに依る所期の運營が殘された課題である。而して此の書は實に其の運營を圓…