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![]() ひとのふこうをともにかなしむ |
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作品ID | 58915 |
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著者 | 吉野 秀雄 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「吉野秀雄全集第五巻」 筑摩書房 1969(昭和44)年6月30日 |
初出 | 「毎日新聞」1965(昭和40)年12月5日 |
入力者 | POKEPEEK2011 |
校正者 | The Creative CAT |
公開 / 更新 | 2019-07-13 / 2019-06-28 |
長さの目安 | 約 3 ページ(500字/頁で計算) |
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いまわたしの胸の奥にあることばは、
ひとの幸福をともによろこび
ひとの不幸をともにかなしむ
といふものだ。(「ひと」とは〈人間〉の意でなく〈他人〉の意)。わたしはもとより道徳なんて説くがらではないし、処世訓・座右の銘なんて大きらひなはうだが、ここのことばは、いつしかわたしの心にしみついてゐること、そして最近、後にいふある事情から、いつさうはつきり意識されてゐることもまた事実なので、問はれるままにいつてみたまでだ。他に語り、他にすすめるのではなく、自分がさうありたいとねがつてゐるにすぎない。
なになにの書物に出てゐたといふやうなことばではない。さりとてわたしの手製のことばといふのでもない。その因縁はかうだ。
昭和の初年――といへば、わたしがまだ若くして結核を病んでゐたころだが――はじめて盤珪和尚(一六二二―一六九三)の仮名法語を読み、幼稚な程度ながらも、不生禅の説法にひどく感動した。そのをり、あはせて長井石峰の『正眼国師盤珪大和尚』といふ評伝も読んだが、この本の中にかういふ話が出てゐた。
盤珪在世の当時、姫路に一人の盲人あり、ひとの音声をきいてその心事をさとる天才をもつてゐた。盲人のつねにいふには、
賀詞にはかならず愁ひのひびきを帯び
弔詞にはかならず喜びのひびきがこもる
と。さらに盲人は語を継ぎ、人心の機微はかうしたものであるが、盤珪和尚だけはべつで、師の音声を聞くに、得失・毀誉・尊卑・上下のどういふ場合にも異色を容れず、やはらぎにみちた妙音声であつて、師に接する者、その声を聞いただけで信に入ることもむべなるかなである、といつたといふ。
道元禅師が正法眼蔵に〈愛語〉を説き、大愚良寛が〈愛語〉の体行をもつて生涯の課題としたことをもおもひ合せ、かういふすぐれた人々の音声は想像するだにすがしく、たのしく、同時に、こんにちテレビ・ラジオに〈美声〉はあつても、〈良声〉〈善声〉のじつに乏しいことまで嘆かれるが、話をもとにもどさう。
かの盲人の音声の批評は、若き日のわたしに痛烈な印象を与へた。自他ともに、人間とはあらましさうしたものらしいことをかなしみ、よしそれならば、その逆に「ひとの幸福をともによろこび、ひとの不幸をともにかなしむ」でなくてはなるまいと、胸中ひそかに期したことであつた。ただし、その後のわたしの三十数年間において、これしきのことさへ、とても完全には、なしとげえなかつたこともまた事実である。
さて半年前、わたしの長男がわたしの目の前で狂気するといふ出来事がもちあがつた。世に突発的な不幸は、連日無数にくりかへされてゐる。わたしの経験など、ほんのちつぽけな一例にほかならぬし、また不幸そのものが人生の真相で、幸福はむしろまぐれざいはひにすぎぬこともよくわかつてゐるつもりだ。しかしいざ、それが自分のあたまにふりかかつてきたとき――わたしがげんに四年…