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あとの祭り
あとのまつり
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻42 家族」 作品社
1994(平成6)年8月25日
入力者大久保ゆう
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-07-19 / 2018-06-27
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 この間の朝、裏の井戸端へ顔を洗いに行くと、近所の人に出会したので、「おはようごさいます。」と、ぼくは挨拶した。すると、その人は、にこにこ顔をして、「今朝は、お早いですね。」と言った。
 つまり、近所の人々も、寝坊のぼくのことを知っているわけなのである。ぼくにはわけがあって、この間から、人並の朝をむかえることにしたいものと、こころがけているのであるが、お早いですねと言われてみると、寝坊だった自分のことを、今更のように見せつけられた感じなのであった。
 実際、これまでのぼくには、朝というものがなかったもおんなじで、ぼくが、洗面器と手拭を持って井戸端へ出る頃は、すでに朝の過ぎ去ったあとなのであって、井戸の流しのコンクリートが、陽に照りつけられて乾いている時なのである。言わばぼくの生活には朝がなくて、その日その日が昼頃からはじまるみたいなのであった。それには、またそれだけの事情があったからなのである。しかし、その事情については、一々ここに述べてはいられないのであるが、一口に言ってしまえば、ぼくはふくろうみたいに夜になってから仕事をするからなのだ。このことが、ぼくの長年の習慣になっていて、女房こどもが出来てからというものは、いよいよ生活がうるさくなって来て、夜でなくては、原稿の仕事に手をつけることが出来なかったからなのである。
 ぼくのところは、娘のミミコと、女房にぼくという三人家族なのであるが、ぼくら三人は、どこに住んでいても、それぞれの部屋というものを持ったためしがなく、現在も、友人の家の一室で三人が暮しているのである。それで、ぼくの机の傍にはいつでも女房こどもがまつわりついているわけだ。ぼくの仕事と言えば、田をつくることとは、はなはだ縁のないみたいに言われているところの、詩をつくることなのであるが、ミミコと女房が、机の側でうごいていたり、おしゃべりをされたりしていたのでは、なかなか仕事がはかどらないので、ぼくはふたりが寝るのを待って仕事にかかるのである。それが、夜の九時頃なのだ。
「もう寝ろよ、仕事が出来ないじゃないか。」
 ぼくは時にそう言って女房こどもを、うながして寝かせることもたびたびなのである。そういうときには、きっと、ミミコが言うにきまっているのだ。
「ちょっと待っててよ。ここんとこまで読んだら、ミミコすぐねちゃうから。」
「宵っぱりしていると、又眼が赤くなって、ものもらいだよ。」
と、叱ると、ミミコはぴしゃりと本を閉じて寝てしまう。ものもらいは、ミミコ自身が、なんども眼に経験して来たもので、ものもらいの出来るたんびに、「宵っぱりして、本ばかり読んでいるからだ。」と、叱られたことを知っているからなのだ。
 こうして、家のもの二人が、寝しずまったころには、どうやら、ぼくのペンが原稿紙の上で働いているのである。そのうちに、夜なかの一時になり三時になり、あ…

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