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家族といふもの
かぞくというもの
作品ID58919
著者亀井 勝一郎
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻42 家族」 作品社
1994(平成6)年8月25日
入力者大久保ゆう
校正者noriko saito
公開 / 更新2018-11-14 / 2018-10-24
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 青年時代に、自我にめざむるにつれて、人は次第に家族から孤立せざるをえないやうになる。自分の友情、恋愛、求道については、両親は必ずしも良き教師ではない。むしろ敵対者としてあらはれる場合が多いであらう。これは家族制度そのものの罪とのみは言へまい。どのやうに自由な家族であつても青年はひとたびは離反するであらう。孤立せんとする精神にとつては、与へられたものはすべて不満足なのだ。これは精神形成の性質から云つて、不可避のことと思はれる。何故なら、精神はその本質上単一性を帯びたもので、いかなる種類の徒党、複数性からも独立せんとする意志であるからだ。そして家族がその最初の抵抗物として意識される。
 強い精神ほど孤立する。たとひ父母への愛を失はなくとも何となくよそよそしい態度をとるやうになる。家族の中の云はば「異邦人」となるのが青年期だ。肉親の理解を得られないとすれば、なほさらのこと孤立する。人間にはじめて孤独感を与へるのはその家族だと云つていゝかもしれない。フランスの或る哲人は、神は人間を孤独にするために妻を与へ給うたとさへ言つてゐる。奇警な言のやうにみえるが、精神はそれが精神であるかぎり、つねに「一」であらねばならぬものであり、「二」の複数はすでに致命的なものである。家族とは精神にとつての一の悲劇にちがひない。
 古来わが国に行はれた「出家」も、宗教的意味をもつのはむろんだが、その単一性の純粋な確保によつて、仏に直結せんとする止みがたい欲求であつたと云へる。自我のめざむるにつれて、青年はすでに「心の出家」を始めたとみてよい。家族への反逆であり、否定であり、破壊である。人は恋を得るとともに、自分の家がもはや自分の家ではないやうに思ふものだ。「家出」の危険は必らず内在するとみてよい。親の愛にとつては堪へがたいことかもしれないが、親もまた一度はこの苦さを経なければなるまい。人間の独立、そのために家族の受ける陣痛のやうなものだから。

     *

 環境は人を決定するといふ。しかし、人はしかく受動的なものではない。強き意志にとつては、環境はつねに否定され変革されねばならぬものだ。才能あるものは「恵まれた環境」にも安住しない。第一そんなものはありえないと意識する。おそらく一生涯、心の憩ふ場所はないかもしれないのだ。倉田百三の若き日の書簡集「青春の息の痕」を、最近よんでゐて、こんな述懐にぶつかつた。
「私は此の頃はどうも私の両親の家にゐるのがアンイージーで仕方がないのです。両親を親しくそばに見ていると胸が圧し付けられるやうです。私はあなた――母親思ひのやさしい人に申すのは少し恥しいけれど、どうも親を愛することは出来ません。そしてまた母の本能的愛で、偏愛的に濃く愛されるのが不安になつて落ち付かれません。それでおもしろい顔を親に見せることはできず、そのために両親の心の傷くのを見るの…

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