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忘れえぬ風景
わすれえぬふうけい
著者島木 健作
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本随筆紀行第二巻 札幌|小樽|函館 北の街はリラの香り」 作品社
1986(昭和61)年4月25日
入力者大久保ゆう
校正者noriko saito
公開 / 更新2019-08-17 / 2019-07-30
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 日本の自然のうち、とくに自分の好きな風景などといふものはない。私は各地の名勝を何ほども探つてはゐないので、出題にたいして何かいふ資格すら持たぬものであるが、たとへ今後さういふ機会が多くあつたとしてもとくにとりたてて好きといへる自然の風光をあげうるかどうか疑問である。私の今までのわづかばかりの経験から推してさういへる。世間に著名な、海や山や河や、ただそれだけでは私はなにほどの感興も誘はれないのがつねである。自然の美しさにたいして生来鈍感なのであらう、大きな自然の景観に接して天地の悠久をおもふといふやうな情も格別切実なものとして迫つては来ぬ。ただ私の懐古趣味だけは人並なものがあるやうである。それの一つの理由は私の育つた土地のせゐであらう。私は北海道の札幌市に生れ、育つた。半殖民地として生れた札幌の町には長い歴史がない。封建的なものから自由な一面はあるが、同時に遠い父祖の生活を思はせるしつとりとした雰囲気といふやうなものは町のどこにもないのである。さういふところで育つた私は、のちに郷土を出てからは、城址とか、昔の面影の残つてゐる城下町とか、史蹟とか、古寺とか、さういふものには非常に強く心をひかれるのであつた。天地の悠久が実感として迫ることの少い私にも、一千年か二千年の人間生活の歴史の長さは身にしみて感じられるのである。古寺に苔むした古人の墓を前にしてゐる時など、こんな人間が果して実在してゐたのか、との疑に忽然としてとらはれることが多い。
 好きな風景、といふことではない。しかし何らかの意味で心に灼きついてゐる風景の場面場面がある。それはすべて、その風景を背景とする何らかの人間生活の姿の故にである。わけても過去のある時代の自分の生活の特殊な一節に結びついてゐる自然の風光には忘れ得ぬものがある。その風景だけをきりはなして見れば無味平凡なものにすぎないのであらうが。そして自然が人間にあたへる感銘といふものはみなそのやうにして生じるものにちがひあるまい。かつての時、あれほどいいと思はれた風景を、時を経て二度見て、案外つまらなかつたりするのはその為である。
 札幌の町と、その町を中心とする山や河や野や林やは忘れ得ぬものの第一である。そしてそれもすべて少年時の憂愁に結びついてゐるからである。大学の農場や植物園や、いたるところにある牧草畑や、豊平川の上流や、真駒内の牧場や、その頃はまだ今のやうではなかつた定山渓や、月寒や、円山や手稲山や藻岩山や、その頃近くでは熊の出る唯一の山であつた札幌岳や、煙を吐く樽前山や、――私がほんたうに自然に親しんだときがあつたとすれば、それは少年の頃であつた。家の生活から、中学へ入ることを拒まれた私は、不満を、少年らしく自然でいやすことをおぼえた。山のぼり、水泳、魚つり、スケッチを私はよろこんだ。つとめてゐた私は毎日曜に夜明けから握りめしを持つて出…

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